司会者の声が響き、会場の盛り上がりの音がここまで洩れてくる。舞台袖には出演の順番の早いものが控えているだろう。スタッフがせわしなく動いている。
そんな空気を感じる楽屋前。
インギールは扉の前に下がっている見慣れたバンド名を見送って、なるべく音を立てないように細く細く息を吐いた。スタッフの札を下げた人物が通路の奥から資料を見ながら歩いてくるのを見つけて、その進行方向、延長線上から一歩下がる。
彼はインギールに気付かなかったようで、彼には目もくれず、目の前をまっすぐすり抜けていった。
気付かなくていいのだ、むしろ気付かれたから困る。
インギールは今他人から視えないように姿を消しているのだから。
基本、こういう楽屋というやつは「関係者以外立ち入り禁止」である。それでもインギールがこうして平然とその扉の前に立っていられるのは、彼が勝手に侵入しているからに他ならない。
透明人間である彼は、本来の能力を発揮して、姿を消し警備員の前を堂々と通過してきた。
とはいえ、侵入、したはいいがそこから先どうしようかは特に考えていないというのが現状である。
彼らの出番は割と後半らしい。こちらの事情はつゆ知らず、結構のんびりと楽屋にいたり外に出ていたりするようだ。頭の中に叩き込んだ出演の順番と演目の時間とをなぞりながらインギールは腕を組む。
(……とりあえず、そうだね。聞き耳を立ててみよう)
まずは現状を知りたい。
インギールはひとまず楽屋の中の彼らの会話を盗み聞きしてみようと考えた。
【死神の眼】
「あれ、ストルナムはどこに行ったんだい?」
「さっきバーテブラが連れていった」
「何だそれ、連れションか?」
「……ヘド」
「すいません」
ギターのコード譜を片手にギタリストの姿を探すペルヴィスが出した疑問に、コスタが応える。そのあとに続いたデリカシーのない言葉にバンドの紅一点が顔をしかめるのを見て、ヘドは悪かったと肩をすくめた。
「まぁ、なんにしても珍しいね」
連れションかどうかはさておいて、本番前にバーテブラがストルナムを外に連れていくのは割と珍しいような気がする。本番前にそこら辺を歩かせると女性スタッフに声をかけ始めて集合時間に遅れるからと、ここのところはあまり外には出さなかったようにヘドは記憶していた。
ふと、窺うようにコスタを見る。コスタもバーテブラと同様、本番前にストルナムを自由行動させるのを嫌っていたはずだ。彼の遅刻に関しては実に口うるさい。というか、予定調和を乱す行為を嫌う彼だ、遅刻などもってのほかなのだろう。
だが、意外にも彼は今回あまり気にしていないようだった。
バーテブラが一緒だから、なのだろうか。いつもこのタイミングでストルナムの姿が見えないと目に見えてイライラしてくる気難しいベーシストが、今日はどうしてか落ち着いた様子でコーヒーなんかをすすっている。
ヘドの視線に気づいたか、サングラスの下の瞳がひとつ瞬きの後こちらを見る。なんとなく気まずい感じがして、ヘドは視線をそらした。
「何か、積もる話があるんだと」
ただ、彼はそれだけ言った。
その発言も珍しい。何が、なのかはヘドには分からない。ただ、なんとなく「コスタっぽくないな」と思った。
実際、らしくはない発言ではあった。コスタがあいまいな表現をすることは。
何か、とか、らしい、とか。そういった中途半端な表現をコスタはあまりしない。ヘドはそこまで具体的に彼の行動や発言を把握しているわけではなかったし、それに対する明確な答えも持ち合わせてはいなかったが、その違和感というものは確かに感じた。だが、それがはっきりと何がおかしいかまでは思い至らない。
「ふぅん……?」
結局自分の発言もやや曖昧な返事になる。なんとなく、なんとなくもやもやした。
なんとなく視線を天井に泳がせるだけでこの話は一度終わった。
(……何か、あったのか?)
そして、そのコスタの違和感は、ドアの外のインギールも感じていた。
先ほど聞き耳を立てた感じだと、今楽屋にいるのはぺルヴィス、ヘド、コスタの3名。バーテブラとストルナムは居ないようだった。
ここから先、彼らの死亡時刻の正確なところはインギールは知らない。
ただ、ぺルヴィスが一緒にいるということと、ストルナムがいないということなら今のところははおそらく大丈夫だろう。
彼女は死なないのだ。死なない彼女とともにいるなら危険性は低いし、死ぬ確率のある者同士が離れているならなおさら。とは思ったが、問題なのはひとり離れているのがストルナムだというところだ。
確か今この場にいる彼らと、ストルナムの死亡時刻にはずれがあるらしかった。もしかしていまこの時が、そのずれが生じるタイミングそのものなのではないだろうかと、考えることもできる。
と、そこまで考えてインギールはふと気付いた。
(…ヘドくんとコスタくんを引き離したら、どちらかは回避できないのかな?)
考えてみればそうだ。おそらくだが、グリープの態度からしてもこの二人が同時に死亡するのはほぼ確実だろう。それは二人が同時にいる環境が一番死亡確率が高いということになる。
ならば二人を何らかの理由で離してしまえばいいのではないか。
とはいえどちらが死ぬ理由を持っているのかはわからない。仮に引き離したとして、どちらを見張っていればいいのかの判断がつかないのは難しいところだ。
結局どちらともとれずにインギールはつきそうになった溜息を、状況を踏まえてなんとか押し殺す。
やはりこのまま楽屋に張り付き続けているしかないか、それとも。
「……おい」
コスタの小さい声が聞こえる。楽屋の方でなにかやりとりが動いたのだろうか。
動きだしたということはまさかみんなして外にでも出るつもりか。そうしたら誰を基準に見はったらいいだろう。位置取り的にぺルヴィスから一番遠い位置にいるものとかだろうか。
「おい」
はっきりと誰を中心にしておくか決めておきたいところだがそうもいかないかもしれない。もっともこういう調査の中で臨機応変な対応を望まれることは別にめずらしいことでもない。
その場その場に対応した動きができなければ探偵として失格だ。ならばやはりもう全員をみておけるだけのつもりで動くしかないか。
「おい、いるんだろう透明人間」
と。
考え事をしていて気付かなかった。気付かなかったが、かけられた声に思わず思考から引き戻される。
(あれ?今、僕、呼ばれた?)
今、確かに透明人間を呼ばなかったか。
そう思いインギールが顔をあげて隣を見ると。楽屋からいつのまにか出てきていたらしいコスタがこちらをしっかりと。しっかりと見据えていた。
(え、バレた?なんで?!)
思わず自分の掌を見つめる。が、そこにあったのは自分の掌ではなくその延長線上にあったコスタの下半身だった。姿を消せていないわけではないようだ。
それでもコスタははっきりと透明人間と言ったし、どういうわけか視線はこちらを向いている。
今まで姿を消している自分の存在に気付いたのは、生き物というものを魂の有無という認識をしているグリープか、鼻がやたらと効くライカーか、あとは気配を読もうと本気を出したドラウドか、その位だったはずなのだが。(思ったより結構いたのは愛嬌としておきたい)
このまま居留守を決め込もうか返事をしようか判断に一瞬迷う。
いるんだろう、ということは多分彼は憶測で判断している。こちらを見ている理由は不明だがもしかしたらたまたま、なのかもしれない。
一度迷ってインギールは音を立てずにとりあえず立ち位置を変える。
このままゆっくりと立ち去っていなかったことにしてしまおうか、そう思ったときに、もう一度コスタが口を開いた。
「うちのドラマーからお前さんとこの死神が何か感づいてると聞いた。それに合わせてお前さんもなんか動いてるんじゃないかと。だから居ると踏んで……」
少し、説明のさなか言葉を途切ると、あまり間を置かずにコスタは視線を動かした。
姿を消したまま移動したはずのインギールの方向を確かに追いかけてくる。
インギールは変な汗が背中を流れるのを感じた。ここにいることがバレたことに対する焦りの感情よりも、なぜ彼がこちらの居場所を把握できるのか、その方が驚愕だった。
「居る、のはもうわかった。追い出すつもりはない。話が知りたい」
ぽつりと。そこまで言われてインギールはすまいを正す。どうやらもう「居る」ことはばれているらしい。まぁ彼と一緒にいれば関係者には見えるだろう。
インギールは一度姿を消していることをあきらめてその場にゆっくりと姿を表した。
「いいよ。けど僕も知りたいな」
彼に事情のいくつかを説明することは別に問題ない。だが今回の件に関係はないが当然ひとつ気になった。
「僕が居ると思ったのは推測だろうけど、でもどうして場所がわかったの?」
コスタが、インギールを「居る」と判断した行動のうち、最初の2つほどはおそらく「予測」だろう。
詳しくはしらないが、バーテブラから昨日の自分の様子を聞いて(確かに昨日はなりふり構わないことにしていたからかなり違和感はあっただろう)今日自分がここに来るのではないかと予測した。
だから「いるかもしれない」という認識で、コスタは一度一言だけ声をかけている。
(事実、インギールは知らないがコスタは彼を見つける前にも2度ほど、ひとりで楽屋を出て誰もいない空間に一言声をかける行為を行っていた。はたから見たらひとりごとでしかないが、それ以外にやりようがなかったのだからしかたない)
そこまではなんとなくわかる。だが、その後、彼は確かに姿を消しているインギールを見つけて、見つけた後は、その場所まで把握している。
さらにはその後、返答に迷ったインギールが「移動」したことにも気づいていた。
たとえばこれが【悪魔にはわかるものだ】とかだったらインギールとしては大問題だ。透明人間の利点は他人に存在を気付かれないことである。
するとコスタは少し視線を外してから、やや説明に困ったのだろうか、悩むようなそぶりを見せて一言。
「音」
……出たよ。と。正直そう思った。
以前ライカーに「鼻」で存在を気付かれたこともあったが、まさか今度は「耳」で来るとは思わなかった。
だがそれでも、こちらとて音を消す能力には自信がある。いくら彼が音楽家で耳がいいからとはいえ、一流の暗殺者並みの消音スキルは身につけていると思ったが。
インギールのその感情に気づいたか、コスタはそれから違うとでもいうように軽く首を振って、サングラスを抑え、もう一度視線を流した。
「お前さんからの音じゃなく、こっちからの音の反響で判断した」
「……反響?」
「透明人間と言えど、視えないだけでそこに存在はしているだろう。触ることも出来るし、触れられるのなら空気の流れもそこで止まる。発した音の反響がそこにあれば、『そこに何かがある』ってことだ」
「…………簡単に言うけど、それって」
「まぁ、やろうと思って出来るのはウチでもオレぐらいだ。理屈がわかれば居ることは分かっても場所までは特定できないだろうし、まずこの理屈まで思いつかない。オレだって意識しないとわからんし、至近距離じゃないと無理だ」
「ですよねぇ」
一つ納得がいって溜息に近い息を吐く。要するに、彼が発した声という音の反響で物体の位置を把握したというのだ。当然そんな真似ができるのがゴロゴロいられても困る。機械かなにかを使えば可能ではあるだろうが、わざわざ透明人間の探知をするためだけにそれを用意するということもそんなになかろう。
納得はいったが、しっくりはこない。
しかしつくづくこのバンドのベーシストは多才というか、恐ろしいというか。神経質というか。
「で、質問には答えた。今度はそっちの番だ」
「あー、そうだね」
この神経質相手になんとなく「通りがかった」とかそういうごまかしはまぁ効かないだろう。
ここは正直に話してしまって早いところ解放してもらうほうが良さそうだ。
ここで下手にコスタに捕まっていてヘドとはぐれるなどという事態はできれば避けたい。
とはいえ全部が全部を伝えるつもりはインギールにはない。全部伝えるとそれはそれでやりにくくなるものだ。なにせこの目の前にいる彼、コスタは「死ぬリスト」入りである。そんな彼に「君が死にます」とはやはり伝えにくい、まずは彼がどの程度まで状況を知っているかも把握しておかなければならない。
先の話からすると、何かに気づいたのはバーテブラのほうなのだろう。
「バーテブラさんが気づいたんだよね?」
「そうだな」
「なんて言ってたの?」
「先に質問をしたのはこっちだ」
とりあえずバーテブラがどこまで気づいたのかを知りたくて話をふったのだが、思いのほか、つめたい態度で返された。というか、これは質問に質問で返すなという反応だ。丸め込みにくいという点で、ものすごくやりにくい相手である。
これはいよいよ適当なことは言えない。言えないが、言いたくない。
「……正直に言うと、全ては君に伝えられない」
「ほう」
「死神関係の情報はうかつに流すと色々な人の運命を狂わせかねないからね。事実、僕も全てを知っているわけじゃないし、個人的に動いている情報源は全て推測でしかない。そして、推測だからこそ、あまり人には言いたくない」
「なるほどな。一理ある」
言いたくないなら、言いたくない旨を伝える他ない。インギールはそう判断して彼に現状を理解してもらおうという判断に至る。
正直、憶測でものを言いたくないというのもあったが、何より彼らにそれを全て知られるわけにはいかなかった。
仮に彼らに正直に全てを伝えたとする。そこでヘドとコスタとストルナムの、(言い方は悪いが)「死亡組」が「気をつけてくれる」ようになるならそれでもいい。だが、問題はそれを知ったバーテブラとペルヴィスの動きのほうだ。
彼らは、おそらく仲間を助けたいと思うだろう。それは自分たちとてそうだ。
だが、自分たちの動きと彼らの動きの中に決定的な違いがある。
それは「自分を守った上で仲間を守ることができるか否か」というところである。
インギールは少なくとも、「絶対に自分の命は投げ出さない」覚悟で動く。それは種族がらというのもあるのかもしれないが、先にドラウドに伝えたとおり、グリープのためなのである。
この状況を打破しようとして、生死の運命を覆すことを彼はよしとしない。死ななかったはずの命が死んでしまったこと、それは死神の彼の意識に直結する。それとて世界としてはただのひとつの事実でしかないが、
守るために先頭にはたつが、身代わりなどゴメンだ。
残される痛みを、考える。守られる痛みを、考える。
自分を守りながら相手を守ること、それが一番大事だと思って行動をすることが出来るのだ。
だが多分、目の前の彼らにそれは無理だろう。
例えば彼らが目の前で自分の仲間が死にそうになっていたとして、そのために自分が死ぬことになろうとも、ためらわず自分の命を投げ出すことを、してしまうのだ。
それがいけないと言っているわけではない。もちろんその絆はとても尊いものだ。それこそが彼らの良いところで、大事にするべき感情だ。場合によってはその行動力こそが最も大事なもので、強い絆だ。
それでも、今回においてはそれはダメなのだ。
「自分は決して死なない」その意志のもとで行動してもらわなければだめなのだ。
その意志がない状態の動きは、たとえ誰かの死を回避しようとした動きであってもしてもらうわけにはいかない。
インギールのその意図を汲んだかどうかはわからない。だが、全てを伝える気はないという部分は読み取ったか、コスタはひとつ小さくため息を吐いた。
「じゃあ質問を変える。イエスかノーで答えてくれ」
「うん、答えられる範囲でなら」
「……うちのドラムは。……ストルナムが、死ぬと思っている」
「そう、だね。ぼくもそう踏んでる」
「Yesか」
「Yesだ」
事実ではある。全てではないが。
正確には彼より先にヘドとコスタが死ぬし、彼が死ぬのはいまこの時より幾分かあとのはずである。
しかし今回の件で死ぬであろうことは確かだ。イエスかノーで答えるなら、イエス。
嘘は言っていないから、これでいい。
返答後、コスタが少し顔の角度を下げたことにより顔の表情は読み取れないが、空気は明らかに重くなった。
しばしの沈黙、それから、もう一度ため息。
「コスタくんはさ、それを知ってどうするの?」
「……どうもしない。やつのことは、ドラマーが、見てると約束した。なら俺のすることは変わらない」
「…………ふぅ、ん……?」
コスタの言葉を聞いて、インギールの動きが止まった。
「え、待って」
今。ストルナムはバーテブラが見ている、と。そうは言わなかったか。
それはまずい。何がまずいかは、先ほど記述した。
「バーテブラさんが、なんとかしようとしてるの?」
「とは言った」
「……それ、は、困る。彼ら、今、どこにいるの」
「知らん、本番前には戻ってくる」
「知っておいてよ!」
いや、それは困る。困るのだ。
彼のイレギュラーが全体の流れを変えかねない。ひとりの生死の運命は全員の生死を変える。それこそ、彼が死んでストルナムが生き残る可能性が出てくると、その後の全員の動きが変わってくるのだ。
コスタの他人の行動にあまり干渉をしない性格がここで災いしてくるとは思わなかったが、それを悔やんでも仕方がない。
今はバーテブラとストルナムの動きを優先したほうがよさそうだと判断して、インギールはコスタに告げる。
ここにきて焦った様子のインギールに、コスタも状況をある程度は察したようだ。
「お願いがあるんだけど」
「……聞いておいたほうがよさそうだな。言え」
「ヘドくんとペルヴィスさんと一緒にいて。本番まで。できれば楽屋から出ないで」
「心に留めておく」
「頼むよ!」
それだけ告げるとインギールは走り出す。
バーテブラという人の人柄は、インギールもそれなりに把握はしていた。
この絆の強いバンドのメンバーのなかでも最年長。リーダーでこそないが、メンバー全体をみてその動きを把握し、個性の強さから衝突することも多いこのメンバーをある意味まとめているのは彼の存在だ。
率先して動きはしないが、しんがりはしっかりつとめる。
そんな彼が、例えば自分より年下のメンバーが死の危機に瀕したとして、自分の命を引換に差し出さないわけが、ない。
それだけは止めなければ。
今のところグリープ側の動きは見られないから、彼の意思ですぐに何かが動いているわけではなさそうだが。
(とりあえずどこにいるかは把握しておかないと…)
本番前には楽屋に戻ってくるとは言った。ならそんなに遠くにはいかないだろう。
自分なら、彼を連れてどこに行く。たとえば、そう、人があまりいないところとか。あまり立ち寄らないところとか。
インギールはもう一度姿を消して音もなく消えていく。
その姿を見送って目を細めたコスタは、一度重く瞳を閉じて楽屋のほうに振り返り。
「…………おい、今の話。マジなのか」
こちらを見ていたヘドと目があった。
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