ライブ直前、状況は出揃ってきた。
【死神の眼】
「……なんだその可愛らしいリストは」
寝起きなのだろう。あくびをかみ殺した様子の完全夜型の吸血鬼、ドラウドが、インギールの見ているリストに視線を送ってくる。ライブは夜だから、という理由でこの低血圧の吸血鬼も誘っておいた。本来なら昼間の娯楽にあまり誘えないから、彼にも楽しんでもらいたいという目的で誘いたかったところなのだが、今回ばかりはそうではない。それも理由の一つだが、もう一つ、死期の件にも協力してもらえるだろうと踏んでのことだ。
彼は全体的にやる気が足りないが、その実力は大したものだ。いざというときには頼りになるし、そのあたりは期待している。
そんな彼がかわいらしい、と形容したインギールが見ているそれは、グリープに渡された「今夜のライブ参加者のなかでサインをお願いしたい人物一覧」のリストだ。
昨夜渡したライブの出演者リストの名前の横に、チェックがついているもので、なにがなんでも欲しいひと、と、できれば欲しいひとに分かれているらしい。
ドラウドが「可愛らしい」と表現した理由は、そのチェックがすべてハートマークで描かれていたからだ。名前の横にひとつ。赤い色で塗りつぶされたものと、塗りつぶさずにただ縁取りだけで描かれている2種類のハートマークが並んでいる。
「そうだよね、可愛いよね。こんなにきゃぴきゃぴしてる」
「きゃぴきゃぴ、は死語ではないのか」
「あれ、そうかな?」
そのリストを軽くひらひらと動かし、インギールは笑いながら答える。見た目の可愛さとは裏腹に、インギールはそのリストを見て嫌な汗が背中を流れるのを感じていた。可愛いのは問題だ。大問題だ。だってそれはそれだけこのリストに書いてあるハートマークが多いということなのだから。
グリープが渡してきたリストが、「サインをお願いしたい人物」などではないことはもうとっくに知っていた。いや、ある意味あっているのかもしれない。死神が「ここにサインしてくださいね」という相手はだいたい死んだ魂か何かだ。
つまり本来の意味としてはこのマークがついている人が、今夜死ぬであろう人なのだ。
直接伝えることのできない彼が、カモフラージュして送ってきたリストがこれだった。
ここではじめてインギールが知ったのは、どうやらバーテブラは今回死ぬ予定のリストには含まれていないということだった。ただ、絶対欲しい人と、できれば欲しい人の差はわからない。
一瞬見たときは、その予定のなかでも死亡を回避させて欲しい人とそうでない人、なのかと思ったが、そうではなさそうである。
というのも、このリストに従うと、ヘドとコスタは「絶対欲しい人」リストに入っているが、ストルナムは「できれば欲しい人」リストだ。もし死亡を回避してほしいリストなのだとしたら、ストルナムは死んでもいいことになってしまう。
別段ストルナムと仲がいいわけではないだろうが、知り合いを見殺しにするほどグリープは我関せずではないだろう。何より彼は命に贔屓はしない。
(もしかしたら、急を要しているかいないかとかなのかな)
真相はまだわからないが、大体の目星をつけてインギールは可愛さがにじみ出ている一覧に再び目を通す。
なんでだってこんな可愛らしいリストに仕立て上げたのか、別に彼が可愛いもの好きだとかそういうのを狙ったとかいうのはなくて、多分、グリープが「できるだけおどろおどろしくないように、命を表すマーク」を考えて至ったのが「ハートマーク」だっただけだろう。
(ゲームとかでも、ライフを表してるのはだいたいハートだしね)
しかしまぁなんにせよ、彼がこれだけ可愛いリストを作ってくれたのはよかった。リストに律儀に苦肉の策ともいえるハートマークを書き込んでいるであろう彼を想像すると微笑ましいを通り越してなにやら同情の念も湧き上がってくるが、どちらにせよ彼にそれだけの元気があるのはいいことだ。
彼は職業柄なのか性格なのか、冷静な反面どちらかというと見切りが早い傾向にある。自分の能力を見積もって、出来るものと出来ないものとを、判断するのが早いのだ。出来ると判断したものに対して行う、達成するための努力はすさまじい。反面、無理だと判断したものには途端に興味をなくしたかのように打ち込むのをやめる。
今回の件に関しては、まだがんばっている。彼があきらめていない証拠だ。
「で、その肝心のグリープはどうした」
渦中の彼を呼びながら、ドラウドは今度はあくびはかみ殺さなかった。そのまま堂々と周辺の空気を浚ってインギールに視線を戻す。
「ヘド君たちの出番ぎりぎりまで寝てるってさ」
「……それが可能ならワタシもそれでお願いしたいところなのだが」
「まぁ、そういってやらないでよ」
睡眠欲に貪欲な彼が口をとがらせるのを笑いながら、インギールはやんわりとグリープをフォローする。
グリープとてできればこの場にいたかっただろう。だが彼は来ないと言っていた。制約があるのだ。時間がせまれば迫るほど、グリープ自身に出来ることはなくなってくる。
死期が迫るほど、どうしたって死神と死亡予定者の直接的接触のリスクが高くなる。
ドラウドは納得がいったのかどうなのか、視線を逸らすと軽く肩を竦めた。
ドラウドには今回の件、インギールの把握しているだけの情報は一応伝えてある。
彼らの既知の悪魔達がどうやらこのライブで死ぬらしいこと。原因はわからないが事故か事件である可能性が高いこと。自分は直接的に、あと、一応グリープも間接的にだがそれを回避したいと行動していること。当人たちには伝えていない、伝えるとグリープの死神の規約に抵触する恐れがあるからあくまで裏方的に行動していかないといけないこと。その他もろもろ。
ただ、その情報は、ドラウドには伝えただけだ。
この件について何をしてくれ、とまでは伝えていない。というより、どうせ言ったって彼はいうことなんか聞いてくれないのだから。血統書付を地でいくプライドからなのか、それとも単に話を聞いていないだけなか、こうしてくれといったこちらの頼みは大体二つ返事をしたあとに蹴り飛ばす。
指示を覚えていないわけではない。覚えたうえで、自分がその時思いついたことをやりだしてしまうのだから始末におえない。
他人を思い通りに動かす能力を持っている代わりに、彼自身はどうあっても思い通りには動いてくれないのだ。
だから彼に関しては、予定に組み込んであてにしていては計画が大幅に狂う。ある意味、バンドのメンバーの完璧主義者のベースとの相性が最悪かもしれないとぼんやりと思った。
だがそれでもインギールが彼を頼りにし、今回の件に誘ったのは、彼に、勝手に動いてもらおうと思ったからだ。
今回の件、やろうとしていること自体は大層なことなのだが、実質その中身のほうはぶっつけ本番色が強い。何せ情報が足りないのと、実行までの期間が短すぎる。
インギールもいろいろ調べてはみたが、結局最終的な結論は「ヘド周辺に張り付いて監視して場合によっては状況をひっかきまわす」ぐらいの結論しか出せなかった。
ただ、それを決めた瞬間、グリープが変な反応をした。具体的にどうなったとは言わなかったが、自分がその行動を「決めた」ことにより、状況が動いたのは明白だった。ならばこの判断もあながち間違いではないのだろう。
だからこそ、ドラウドを呼んだ。
こういうとき、なんだかんだ一番頼りになるのは「天然」なのである。
どこかの誰かも言っていた。優秀な人材があれこれ考えて突破できない問題を、天然は一発で解決していく。腹の探り合いの中にひとつ、そういう腹に一物抱えられない人物を入れるだけで状況が好転するという話はいくつか聞いたことがある。
ドラウドは、そのタイプだ。
彼とて決してバカなわけではない。頭は回るし応用力も高い。だが、その中には変な企みがない。よく言えば実直で裏表がない、悪く言えば愚直で含みを持たせられない。行動が素直。ゆえに、天然。
それなりに考えたうえで、彼はなんでか最終的に「思いついたまま行動を起こす」のだ。先も言ったが、こちらの計画など総無視、適当もいいところである。
だが、その後、荒らした状況に対して、彼の応用力が勝るのかリカバリが早いのか、なんだかんだで場を丸く収めることに長けている。雨降って地固まる。ではないが、最終的に彼の行動は良かった方に働いたことしか見たことがない。ある意味、これも一種のカリスマというやつなのだろうか。
その行動力と能力を、見込んでのことだ。
だからあえて指示は出さなかった。だが状況は伝えた。
そうしたら彼は彼なりにこの状況について考えて、そして勝手に動いてそれなりにひっかきまわしてくれることであろう。彼が勝手に動いたどこかが、今回の件にひっかかってくれでもすればいい。
もしかしたら彼のほうで勝手に解決してくれるかもしれないし、それはそれで有難い。
今回は別に自分が解決する必要はないのだから。
インギールはドラウドを見ながら、ひとつ満足そうに頷いた。その視線に気づいたか、ドラウドはもう一度インギールに首を向けると、感心したように口を開いた。
「しかしお前もモノ好きというか……、よく他人のために命をかけられるな」
「ん?」
死期が迫った悪魔のために、自分で乗り込もうなぞ考えるなんて、とドラウドは目を細める。
そうまでして他人を助けたい欲は、彼の中にはない。もちろんヘドは彼にとっても友人であり、出来ればなんとかしてやりたいとは思うし、出来るだけのことはやってやろうとも今は思う。
だが、それを成すために自分の身を危険に晒したいほどではないのだ。こればっかりは性格だろう。
その反面目の前の彼はどうだ。近くまで行って原因を探るなんて、危険以外の何物でもない。
ご立派な精神だとドラウドは感心する。インギールも、死神の規約すれすれで奔走するグリープも。
「……いや、僕は、命まではかけてないよ?」
と、思ったのだが。
「………ん?いや、お前言ったではないか、乗り込んでみると」
意外とあっさりと否定されてドラウドは一瞬呆けた声を出した。
「いや、乗り込んではみるけどさ、さすがに身の程はわきまえるよ」
「……目の前で死の際に立ちあったら庇いでもしそうな勢いだと認識したが」
「ははは、冗談やめてよ、そんなことするわけないじゃないか。ライカーならわからないけど」
前言撤回。思ったより薄情だった。
ここは友人の為に何が何でも自分の体を張る、と、いうところではないのか。確かに、インギールが名前を出したライカーあたりならそう答えるだろう。あれは友情というやつをことさら大事にしている。インギールも比較的情には熱いタイプだと思っていたが。
「では、目の前で死の原因を見つけてもお前は放置すると?」
「そうだね、僕が対処できる範囲を超えていたら見送るしかないかな」
「意外と薄情だな」
今度こそ思ったことをドラウドは率直に伝えた。
するとインギールは立ち止り、少し悩んでから、口角を上げるだけの微かな笑みを浮かべる。浮かべた。と思う。
はっきりとは見えないが包帯のしたの口がそう動いていたように、視えた。
「だってさ、ヘドを助けに入って僕が死んでごらんよ。グリープが喜ぶかい?……それこそ目も当てられない」
「…………それもそうか」
正論だ。
ドラウドはぽつりと繋げる。たしかにそうだ。本来死ぬべき友人が助かって、それで別の友人が死んでいたら元も子もない。むしろ今回の場合はマイナスだろう。
何せ、グリープがそれをインギールに話さなければ彼は死ななかったということになる。
グリープは魂自体に優劣はつけないが、魂が無くなる過程には優劣をつける。
同じ「ひとつの死」でも、本来死ぬべき魂をどうしても回避できなかった死と、死ぬべきではなかったはずの命を狩ってしまった死と、どちらが重いかと言ったら、当然後者である。
ヘドからしても、自分を庇って誰かが死んだことになる。そうではないと教えても、自分のせいだという感情は残るだろう。逆に、教えたらよりその感触は強くなるかもしれない。
いいことはない。
そう考えると多分今回の件に関して、人死には、出してはいけないのだ。ひとりも。
本来消えるはずの魂の代わりに、消えるはずはなかった魂が消えることがあってはならない。
もっと言うなら、後味よくすっきり終わらせるには、今回の死は全回避するべきだ。
そういう意味で言ったのだろう。命なんかかけない。
多分、グリープも自分の命をかけてなんかいない。
否、かけてはいるかもしれない。だからこそ「勝てる勝負しか手を出さない」ようにしているのだ。命の重さを知っている彼は、自分の命もしっかり同じ重さで考える。
嗚呼やはり、なるほどご立派なことではないか。
ドラウドが納得したタイミングで、インギールは帽子を少し目深に落として、少し首を傾けた。
首を傾ける癖があるところは、インギールとグリープは少し似ていた。
「だからさ、そうならないために全力を出すんだよ。僕らは」
ぶっつけ本番なところは、いなめないけどね。と。
その声は少し楽しそうでもあった。
PR