「っはー」
一本。懐から慣れた手つきでそれを出し、口にくわえて火をつける。
大きく息を吸えば肺に白い空気がたまる。その空気には有害な成分がなんだとか最近では良く聞くようになったが、悪魔である自分にしてみれば大した害はない。
依存性も、あるのかもしれない、まあ、やめる必要性が出てきたらやめればいい程度の緩い考えだ。幸い自分の身近なメンバーで自分がこれをしているからと言って嫌な顔をするものはいなかった。
とはいえ、吸いにくい世の中にはなったなぁと思う。
何せ一服するためには、最近は大体建物の外、ないしは建物内の決められた喫煙可能なゾーンを探さなければならないのだから。
バーテブラは少し空気が冷えるようになったその時間に、一旦控室から出て、一通りぶらぶらしてようやく見つけた建物の外にあったその灰皿の前で、ぼんやり夕日を眺めながらその有害なだけの空気を吐いた。
別に夕日を眺めていることに意味はない。特別綺麗なわけでもないその夕日も、落ちたらあっという間に建物の明かりに消えていくだろうし。それについて感傷とかそういうものを抱くこともない。ただ、他に眺めるものもなかったからそれを見ていただけで、見ていたことにも見ていないことにも意味なんてないのだから。
どちらかというと今のバーテブラの意識の大半を占めているのは、疲れたなぁとかいよいよだなぁとかそういう自分の内側に依る感情だ、周りの景色なんか別に夕日だろうとネオンのあかりだろうとどっちでもいい。
今夜のライブ開始まで、あと3時間だった。
『死神の眼⑤』
自分たちのステージはもう少し後になるが、ライブ自体は直に始まる。
会場は設置やら何やらで既にだいぶ騒がしくなってきており、ああでもないこうでもないとせわしなく走るスタッフを見送って、バーテブラはもう一度息を吸った。
そのスタッフの様子にふと、昨日の知人のことを思い出す。
昼の合わせの前、公園でリーダーに会ったときにたまたまいたのは、バーテブラも親しくしてもらっている妖怪2名様だった。
その片方、透明人間の昨日の言動を思い出す。あれもなかなか昨日せわしないうごきをしていたように思えたのだ。
もうひとりの妖怪仲間である死神の方は、先に居合わせたリーダー曰く、かなりお疲れの様子で木陰でじっとおとなしくしていた。確かにバーテブラの目から見てもその元気のなさは明らかで、ただでさえ顔色が良くない彼の肌が余計に薄暗く見えた。
その反動なのか、一緒にいた透明人間の方は何やらやたらと喋りまくっていたように思う。
否、喋っていたのは彼の方ではない、彼がやたらとこちらに質問をしてくるから、実質一番喋っていたのは自分だ。
あの好奇心の塊のような透明人間は、自分の知らないことを聞いてくることはよくあったが、それにしたって昨日はとにかく質問攻めだった。雑誌のインタビューなどで記者に質問をされることもあるが、それ以上の勢いだった。
会場の場所、開始と終了時刻、上演スケジュール。
それだけではない、自分たちが今日、朝からライブ終了までどういう予定でいるのか、とかはとにかく事細かに聞かれたと思う。
会場には何時に入るのか、何時に何をやる予定なのか、控室はどこなのか、控室にはだれでも入れるのか、まるで出待ちを計画しているファンのような食い付きで予定を聞いてきた。
それからどういうわけか、スタッフの規模、他の出演者の情報も全部分かる範囲のことはなんでも聞かれたのだ。出演バンドの名前だけではない、メンバー全員の個人名を全部メモをしていた。一瞬メモの走り書きをみたが、後で、年齢性別種族から略歴まで調べ出すつもりらしい。
あの食い付きは、あまり突っ込んだところまで教えていいものか悩むレベルの勢いだったのを思い出す。さすがに出演者の個人情報とかはどうかと思う。もちろん彼のことは信頼しているが、だが、信頼しているからこそ、不安だった。
探偵業を生業としている彼が、あれだけ興味を持つ理由とはなんなのだ。
「昨日のアレは、何だったんだ?」
昨日のやりとりにぼんやり思考を巡らせていたら、後ろから声をかけられて意識をそちらに向けた。
視線をバーテブラと同じ方向に向け、こちらに歩きながらそう言った声の主は、コスタだ。緑を基調とした衣装を着たこの気難しいベーシストは、先ほどまで楽屋でリハの時のミスをメンバーに注意していたが、それも終わり、外の空気でも吸いに来たか。細く息を吐きながら目を細めた。
「アレって?」
「透明人間の、いつもあんなものか?」
「いやぁ……、昨日のはちょっと突っ込みすぎだったっつーか」
少し眉をひそめながらそう言った彼が指したのは案の定昨日のインギールのことだ。もともとバンドメンバー以外とそんなに話すことがない彼にとっては、印象には強かっただろう。
「いつもはもう少し大人しいんだけどなぁ…」
言いながら隣に立ったコスタに懐から煙草を一本差し出す。
しかし差し出してから気付いたが、コイツは自分の愛用の銘柄のものしか吸わないのだった。知ってるだろうと言わんばかりにサングラスの下から睨みつけられて、引っ込めながら謝罪の意味も含めて肩をすくめる。
今でこそ自分はこだわりはないが、彼が銘柄にこだわるのもまぁ理解はできる。というか彼は何かと自分の中のこだわりが強い方だ。
サングラスの下の視線を受け流して一度逸らす。多分先のリハ後のストレスもあったのだろう、今はどうやらコスタの機嫌が、比較的悪い方だと見る。長い付き合いのおかげか、薄いサングラスの下の表情を読み取るのにもだいぶ慣れてきた。
それを思うと、と、もう一度思考回路を昨日の透明人間に戻した。それを思うと、あの透明人間の職業というやつは、実に種族に合致した職業なのかもしれない。
彼のあの黒いレンズの下の表情を読み取れたことなんてない。当たり前だ、その下に表情など存在しないのだから。
あのサングラスはあくまでそこに目が存在することを主張するための道具に過ぎない。
透明人間である彼は、肌の部分は包帯で表現している。だが、さすがに眼にまで巻いてしまったら自分でものを見ることができなくなる。だからといってその部分だけ何も装着していなかったらそれはそれで問題だ。そういう理由で、それをかけているにすぎない。
まぁ、色々な種族が雑多に存在しているこの世界、眼がない生き物がいても誰も何も不思議には思わないだろうがそれはそれ、なのだろう。
だから基本的に彼が何を考えているかとか、そういったものは彼の所作と声色から読み取るしかない。視線がどこを向いているかも分からないから、こっちを見ていると思ったら全然違うところを見ていたということも間々あるし。
実に探偵向きの種族である。身体全体を消せば尾行も侵入も思いのままだし。
だが、そんな表情を読み取れない彼だが、確かに今回のこのライブに関しては明らかにいつもよりも深く突っ込んできていたと思う。何か、理由があるのだろうか。
「なぁ、コスタよぉ」
そんなことを考えながら煙草を吸っていたら、思わず、隣にいたコスタに口を開いていた。
彼は何も言わずに視線だけそちらに向ける。バーテブラは言おうかどうか少し悩んだが、どのみち口を開いてしまったのでそのまま続けることにした。
「今回のライブ、何かそんなに、気になることでもあるか?」
「俺に聞くのか」
「いや、だってなぁ……」
「…………お前さんがあるんだろう、言ってみろ」
煮え切らない返事をするバーテブラに、質問の答えとは違う、意外な言葉が返ってきてぎょっとしてそちらを見た。言葉を発した方のコスタは、バーテブラの方は見ず、自分の愛用の銘柄の煙草に火をつけるところだった。
「俺はあれこれ頭を使うのは苦手でな、ただ、目の前で起こる事象を俺の判断で片づけていくだけだ。……だがお前さんには何かあるんだろう。聞いてやる」
言って白い煙を口から吐き出してから視線を流す。自分の行動の計画の中に、余所の感情の介入を嫌う彼にしたら、かなり珍しい発言ともいえた。
否、彼にそれを言わせるほど自分が思い悩んでいるようにも見えたか。
「あー……、そうだなぁ……気になってるっつーか」
バーテブラは頭を掻きながら口を開いた。気になっている、気になっているというか、ひっかかっている。なんと表現したらいいかわからない。嫌な予感、とも違う。
ただ、なんとなく、なんとなく思い浮かぶ事象の色々なものが少しずつマイナスなのだ。そして困ったことに、そのマイナスな現象を、繋げて考えると妙にしっくりくる。
後ろから考えていくと、昨日のインギールのあれがダメ押しだった。
あの質問攻めは、まるで調査だ。探偵が調査をするような状況なんて、どう考えたって良くないことにきまっている。違うかもしれないが、あまり楽観視することはできないだろう。
では、その彼が調査するほど良くないことはなんだ、と思ったときに、思い当たることもその近くにひとつある。まさかとは思う、まさかとは思うが、あの時一緒にいた死神の動向が気にかかった。
ストルナムは言っていた、「死神にものすごい勢いで睨まれている」と。
死神のあの少年、意味もなく他人にガンつけるタイプではなかったはずだ。
言動はいくらかうちのリーダーに似てケンカっ早そうだが、その実、結構冷静だ。行動を起こす前に一度ワンクッションを置き、人との距離も一歩ひいている。
死神と言う種族であることに結構気を使っているらしく、人を見るときは、割と注視はするが相手に「見られている」とは感じさせない術をもっているはずだ。
それがはっきりと睨みつけていた、とは。
死神の知り合いから聞いたことがある。死神は死期の近しい他人の死期が視認できるのだと。
まさかとは、思うが。彼には見えていたのではないか。ストルナムの「それ」が。
そう考えれば色々納得がいく。死神の少年がストルナムを睨みつけていた理由も、その時の顔色が少し悪かったのも、それから、その死神と仲の良い探偵が奔走し始めたのも。
インギールは頭がいい。死神の彼の様子から状況は自分などより早くに読み取っているはずだ。そしてあくまで、憶測でしかないが、それでも十中八九、この、ライブ期間中の出来事なのではないか。
そう、つまり、このライブのどこかでストルナムが。
「………死ぬんじゃねぇかな。原因はわからんが」
伝えるべきかは迷ったが、事実そうなのであれば状況を把握しているものは多い方がいいかもしれない。だがその反面、本人に伝えるのは憚られた。伝えたところで信じるかどうかもわからないし。
だがまぁここまで来てコスタに伝えないというのも申し訳ないと思ってとりあえず、「そうじゃないかと思っている」というニュアンスでコスタに伝えた。
コスタはどういう反応をするかと思ったが、バーテブラの意見をただ黙って聞いていた。そしてしばらくの沈黙の後宙に向かって細く、煙を吐く。目はこちらを見ていなかった。
「……ライブ中やっこさんから目を離すなってことか」
幾許かの間の後、コスタの口から出たのは、意外にもバーテブラの言葉を受けれたものだった。
くだらないことを考えている暇があればライブの心配をしろと、そう言われるかと思っていた。あくまで憶測でしかないその考えを、頭の固い彼が受け入れるとは思えないし。
否、もしかしたら信じていないけれど、自分があまりに心配しているから気を使って合わせてくれただけかもしれない。コスタに気を使わせるというのは相当なものだ。こいつは空気は読めても気は使わない。読んだ空気が自分に害のあるものでなければ放っておくし、害があるなら容赦なく指摘する。
どちらにせよ、気をつけておくにこしたことはない。
「ライブ中とは限らねぇんだよ、多分、会場してから終わるまでの間だと思う」
「張りついていろと?」
「いや、それは俺がやるよ、なるべくあいつのそばにいる。……その危険があるやつのそばにいるとなるとこっちのリスクも上がるしな」
「そうか」
ただ、一言、それだけ言って彼は灰皿に煙草を押しつけると、そのまま楽屋に戻っていく。後ろ姿をぼんやり見送りながらバーテブラは視線を少し下げた。彼のあの一言の返事の中にどれだけの感情があったのかはわからない。だが、一応了承の形はとっていたので、ストルナムの近辺は自分が見るということでいいのだろう。
先も言ったが、真に彼に死亡の危機が迫っているのだとしたら、彼の傍にいることによってそちらにも危険が及ぶ可能性は十分にある。コスタに頼んでコスタとストルナムの動向両方気にするよりは、自分がひとりを見ておいた方がいい。
コスタもそれは知っているから何も言わなかった。どうせ世話やきのこのドラマーのことだから、自分が見ると言ったって結局二人分気にするだろう。余計なことをして無駄に心配させるくらいなら最初からストルナムは任せた方がいい。そう判断してコスタは一度そこを離れる。
だが、バーテブラにはもう一つ、コスタに言っていなかった危惧していることがあった。
死神の少年の動向で気になったのは、なにもストルナムを睨みつけていたからだけではない。
彼の疲弊が、あまりに顕著だったからだ。
『死神の彼が、疲れを表に出すほど仕事が多かった』という事実があるということだ。
それを見るまでは半信半疑だったのだが、彼のあの様子を見たら、もしかしたら本当なのかもしれない。
ここのところ頻発している、「魔族狩り」の、噂は。
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