本当は、一番手っ取り早いのはヘドがそもそもライブに行かないようにすればいいんだと知っていた。
だが、それをしてしまうのは、それはそれで違うような気がした。彼らとて生半可な気持ちでロックなんかやっていないだろう。
彼らの音には魂がこもっている。だからこそグリープは好きなのだ。
その魂を取り上げることは、できればしたくない。
彼らだってきっと、制約のせいで実際は出来はしないが、例えば彼らに「行ったら死ぬかもしれないからライブはやめてくれ」と言ったって止めやしないのだ。
今でこそ揶揄ではなくなってしまったが、彼らはそれに文字通り命をかけているだろう。
ならばちゃんと自分も命をかけよう。
でなければきっと覆せない。それが運命だ。
【死神の眼③】
人のことを泣き出しそうだとかなんだとか、そんな軽口はさておいて。
このタイミングでインギールが来てくれたことは正直ありがたかった。なんとか一連のやりとりで落ち着きも取り戻すことができたし。
グリープはひとつ軽く息を吐く。
ここはひとつ腹をくくらなければならないだろう。
視線を上げる。目の前の彼の頭には『32:39:22』。
焦ったって落ち着いたって目の前のそれが変わることはない、その時計はただ無慈悲にそして正確に一秒ずつ数を減らしていくだけだ。
死神として正しいのはどう考えたって何もしないことだ。せいぜい何も知らないふりをして彼についていき、死んだ後に魂を回収する、それが死神である自分が今できるベストな選択。
だけど自分は彼を死なせたくないと思う。これは死神は関係なく単に自分のわがままだ。死神が死期をずらそうだなんて本来あってはならないことだし、それは今まで死んでいった魂全てへの冒涜なのかもしれない。だが、それが何だ。いいじゃないか、過去にそれこそ神の気まぐれで助かった魂なんてごまんと存在する。
これもそんな、たまたま死神である自分に愛された魂なだけだ。否、その魂が愛された相手がたまたま死神である自分であっただけだ。それは多分何も特別なことなんかじゃない。
(仲間の命を助けようとして、何が悪いってんだ)
自分の良く知る狼男の青年なら迷わずそう言うだろう。
かつてグリープが自分の価値に悩んだとき、励ましてくれたのは仲間だった。
そのあと自分は上司である死神に言い放ったことがある。自分は仲間である友人の命を大切に思うことができると。死神であるからこそ他人の存在の尊さを、大切にすることができると。そうやって自分の道に迷った時に正してくれる友人がいること、それを大事に思える意志が、自分の強みであると。
その時の答えに殉ずるならば、今ここで友人の命を見捨てることは誓いに反する。
(ただの、言い訳かもしれないけれど)
しかしやると決めたからには、そう、できるだけのことはやっておこう。
とはいえ、直接手を出すわけにいはいかないこともまた事実だ。それとこれとは別問題である。
死神の規律に反したらその時点で何処にいて何をしていようと即懲罰室行きだ。そういうシステムに組み込まれている。それでは意味がない。
だからグリープは、『死神の規律にギリギリ抵触することなく』『目の前の彼の死期をずらして』いかなければならないのだ。
一見すると到底不可能に見えるその行為だが、そのための、仲間である。
大丈夫。ひとりじゃない。
そのための布石はまず投げた。
あとは響いてくれるかだが。
「へぇ、めずらしいね、グリープが頼みごとなんて」
ありがたいことにその答えは意外とあっさりと来た。
響いた手ごたえを感じてグリープは視線をヘドから外さずに少しだけ微笑む。
ここに居るのが、インギールで本当に助かった。こういうときに一番素早く状況を読み取ってくれるのは彼だ。頭の回転が速くて気がまわる。それから、死神の制約というやつも個人的に調べたのだろう、妙なところで詳しかった。
グリープは基本的に、お願いとおねだりはしても、他人に「頼みごと」をすることはない。
負けず嫌いな性格もあるが、ただの言葉遊びの意味合いもある。
要するにそういうことはここぞというときに取っておくことにしているのだ。こういう制約が多いということもあり、「頼みごと」をするときは、「死神の制約に反するから直接内容を伝えられないが、どうしても助けてほしいとき」に絞り込んでいる。
そうすればインギールは過去の経験と探偵のカンから、それをしっかり読み取ってくれる。
グリープはなんとか状況を把握してもらおうと、足の出ない程度に言葉を選ぶ。
多分言葉を選んでいることも彼はわかってくれるだろう。
「ヘドのライブ、行きたいんだけどさ。ここのところほんと仕事が忙しくて徹夜続きだから、行ったらさすがにオレ死んじゃうかも」
言いながら視線を移して困ったように笑うと、インギールの肩が少し動いた。
そして少し考えるように手を顎に当てる。その言葉に何らかの意図があることを感じ取り、キーワードを絞り込んだ。
(死ぬ……?のか。なるほどそれなら彼の動揺も納得がいく。流れから言ってヘドであることは間違いなさそうだね)
グリープの口から「死ぬ」だとかいう言葉が出てくるのは珍しい。彼の場合その言葉が冗談では済まなくなるからあまり口にはしないのだ。今回の言葉回しからすると、敢えて自分を差したのは、死ぬのはグリープではなくて、多分ヘドの方だからだ。中途半端に近しい言葉回しをしたら死神の規律にひっかかるかもしれない。グレーゾーンではありそうだが、なるべく言い回しは遠い方が安全だ。
グリープはインギールの様子を見て、少なくとも意図が伝わったことに少し安心する。
そうして不自然でない程度に再度ヘドに視線を戻した。
「あ、グリープ来られねェの?」
「いや、行きたいからさ、時間になるまで寝てるから、起こして欲しいなって思って」
「そっか、大変なんだな死神」
「ここのところとくにな」
何気ない会話を装って話を進めるが、言葉の端々に大事なことを入れるのを忘れない。
とにかくどれかにヒットしてくれればいい、まずはそれだけだ。ただ、あまり入れすぎるのも危険なのだが。
そう思っていたら、危険性を危惧したか、話の矛先を自分に向けるようにインギールが割って入った。
「起こすのはいいけど、時間がわからないな。ヘドくん、キミたちの出番っていつなんだい?」
「ん?あぁ、一応予定では10時から俺らのステージになってる」
想像以上のナイスパスだった。
グリープは思わずガッツポーズをしそうになるのを寸でで堪えた。
さすがインギール、自分の欲しい情報をしっかりと絞り込んでくれる。多分彼もまた欲しいと思っている情報なのだろう。
そう、まず欲しいのは、「死亡予定時刻にヘドがどこで何をしているか」だ。
ライブとはいえ状況は広い。ライブ最中なのか、休憩時間なのか、場所がわかれば事件なのか事故なのか原因も予測がしやすい。
ベストは、その瞬間、その場に、誰か状況がわかっている者が居合わせるのがベストだが、そのためにもインギールに正確な死亡時刻を伝えなければならない。この状況を打破できるとしたら彼しかいないのだ。
だが、その時刻を直接口にするのは憚られた。なんとかそれとなく伝えなければ。
「へぇ、10時か、結構遅いな」
「そうか?こういうのだと普通だと思うけど」
「あ、そうなんだ、あんまりライブとかいかねぇから知らなかったよ」
(……なるほど、10時よりは前、ね)
繋がった言葉にインギールが予測する。
グリープがこういうライブの時間配分を知らないはずがない。ヘドと仲がいいのだから何度か行っているはずなのだ。それでも素知らぬ顔で『遅い』と言ってのけたのは、彼の視ている時間よりもその告げられた時刻が遅いからだろう。
「うーん、と、開場は何時なのかな?」
「場所自体は8時半くらいからやってる」
「なるほど、どうするグリープ。開場から行っちゃう?」
「んー…パス、どうせならオレもうちょっと寝てたいし」
(8時半から10時の間)
8時半にその場にいる必要はない。ということはもう少し後らしい。
それでもまだ1時間半時間がある。出来ればあと30分くらいは絞り込みたかった。
しかしそこでグリープがいったん視線を外す。一瞬眉をひそめると、そこで一度口を噤んだ。
「出入りは自由?それなら僕は開場時から行こうかな」
「入場チケットさえ持ってれば出入り自由。来るならチケ渡しとくぜ」
「わぁ、助かるよ。ぜひお願いしたい」
「OK、2枚?」」
「ドラウドも誘おうかな、いい?」
「じゃあ3枚な」
そのまま会話を進めるインギールを見ながら、グリープはそれとなくベンチの木陰に少し体を移して息を吐く。
胃の下、腸の奥、吐き気と共にそこが重く軋んだ。
少し、核心に近づきすぎたかもしれない。
懲罰もそうだが、死神は体質的に妙な真似を起こせないようになっているのだ。幾許かの吐き気をのみこんで、公園のベンチの背もたれに背中をつける。
死期の近い相手のそばにいる死神は常に監視されているはずだ。あまり突っ込んでも危険だ。
これが、命を預かる重みである。そう思って息を吐く。
まだそこまでヤバいところまでは行っていないと思うが、この程度でこれとは、やはり制約は厳しい。
(今これ以上時間を絞り込むのは、無理か)
とりあえずライブ前だということは分かった。まずはそれで打ち止めにしておこう。
グリープはそう判断して息を吐く。その動きをみてインギールもこれが限界かと、質問を別のものにした。
「そういえば、他のみんなは元気してる?」
「他?」
「ストルナムくんとか、コスタくんとか、バーテブラさんにはこないだ会ったけど」
話の流れからするとやや不自然だったかもしれない。だが、グリープと違ってインギール自体には別に制約もなにもない。多少乱暴でもとにかく情報を手に入れられるのだったら何でもよかった。
別に自分だけが知りたいのなら聞かなくてもいくらでも調べられるのだが、出来れば現状をグリープにみてもらいたいのだから、もうとにかく今この場で出来る限りのことはしておかなければ。なりふりなど構う必要もない。
自分がグリープの立場に立ったとして、欲しい情報は何かを考えた時、真っ先に浮かんだのが他のメンバーだ。
他のメンバーの死期はどうなっているか。まとめて死期が訪れているなら事故、単体なら事件の可能性が高い。
その発言の意図を察したか、元気のなさそうだったグリープも一瞬視線を投げた。
「あ、オレ、午前中ぺルには会った、元気だったぞ」
「そうなんだ、よかったね」
「ああ」
わざわざ、割って入ってきたということは多分、彼女は大丈夫ということを伝えてくれたのだろう。
一応本当に『よかった』かどうか聞いたが、別に否定はしてこなかったから、本当に問題ないのだろう。となるとあと知りたいのは残りの3人。
「ああ、そういえばそろそろ来るはずなんだけど……」
「待ち合わせ?」
「そうそう、音合わせしようと思って、集合待ち」
(………さすが、悪運が強い)
ヘドの発言を聞いて不幸中の幸いというべきか、インギールが妙な関心をした。
ここに今全員きてくれるのなら話が早い。そこで全員確認ができるではないか、ありがたい。
普段なら偶然にしては出来過ぎていると勘ぐるところだが、今回ばかりは急を要する。死神の意志が引き寄せた必然か、それとももしかしたら目の前の悪魔の悪運かもしれない。どちらにせよ大人しくあやかっておこう。
「あ、ヘドいたいたー」
噂をすればなんとやら。
鈴をならすような凛とした高い声が響いてグリープが視線をそちらに向ける。
はつらつとした声をあげたのは、むさくるしいロックバンドのメンバーの紅一点。そちらを見れば、小走りにこちらに駆けてくる彼女を先頭に、ちょうど全員が肩を並べて歩いて来ていた。
ヘドも手を振ってそちらへ近づいていく。
そのまま打ち合わせかなにかだろうか、悪魔の面々で話を始める。
その様子を見て、グリープが。
(え 今のどっち?!)
グリープの反応に、それを見ていたインギールはおもわずリアクション芸人みたいな反応をするところだった。
人前だったのでさすがに堪えたが、様子を伺うために注視していたグリープが浮かべた表情が、なんというか、あまりに、中途半端だったのだ。死期が視えたのか視えなかったのか、なんとも微妙な顔をした。
元々、グリープが表情を変える事はあまりない。というか、人の死期を見て逐一リアクションをしていては死神として失格だ。何を見ても動じる事のないように、そういう訓練はしているだろうし。ただ、それでも視線を逸らすか逸らさないかくらいはするだろう。この状況なら尚更。
最初にペルヴィスを見たときに彼は明らかに視線を一度下に落とした。から、視線をそらせば安全ということだろうとインギールは踏んでいたのだが。
グリープは、彼らを見て、止まって、目を細めて、視線を逸らして、慌ててすぐにもう一度見た。
(どっちなのか……。いや、変な動きをしたってことは、事実、変なのかもしれないな)
今の動きからではよくはわからないが、多分あの動きは動揺が含まれている。動揺するということはどちらにしてもあまりよくない証拠だろう。
良くはわからなかったが、とにかくペルヴィス以外は全員アウトだと思っておくに越したことはない。
メンバーの中で彼女だけが無事である理由はわからないが、とにかく全員まとめて死亡を回避させればいいだけのことだとインギールは考えをまとめた。
ただ、結局、事故なのか事件なのかがわからない。
ライブという特殊な状況なら、例えばセットの崩壊、機材の落下なども死亡原因になりうるし、こういう時にどさくさにまぎれて殺人事件みたいなことが起こってもおかしくはない。
そこでひとつ、動きを改めてみることにした。
よくわからないなら足で調べろ。先祖も言っていたような気がする。気のせいかもしれないが。
(うん、もういっそ、こっそり乗り込んでみよう)
そうしてインギールが一つの結論をだそうとしていたとき、グリープはじっと後続のメンバーの頭上を睨んでいた。
(なんだこれ……どういうことだ)
インギールの読みの通り、彼の眼には確かに見えていた。
だが、完全にそうかと言われたら少しだけ違う。ペルヴィス以外の全員ではなく、視えたのはヘドの他に2人。
バンドの紅一点とあとひとり、兄貴分であるバーテブラには視えなかったのだ。
ただ、他の二人、ナルシストなギタリストと気難しいベーシストの頭上には視えた。
今のヘドの頭上にあるのは『32:30:58』。
それからあとふたりの頭上に出ている死の宣告。
ベースのコスタの上には『32:31:22』。
それから、ギターのストルナムの頭上に、『47:42:15』。
なぜか、ストルナムの死期がほかの二人より15時間ほど遅れている。
多分死亡の原因は同じだろう。だが、ずれるということは。
(どういうことだ……?即死じゃない、けど、助からない?)
可能性としてはおかしくはない。
例えば、それが事故だとする。とりあえずなんでもいい、リハーサルか何かで機材が倒れて、下敷きになりました。という死に方だったと仮定する。
そうすると立ち位置だとか打ち所だとかの関係で、先に死ぬ二人はその場で即死、ひとりだけ、即死ではないが、しかし助からず時間を置いて死亡、というケースもある。
そして残りの二人はそもそも事故に巻き込まれなかったとなればこのパターンも不自然ではない。
(けどなぁ…悪魔だぞ?)
問題は彼らの種族である。人間ならそれも不思議なことではないが、悪魔だ。
通常生活における事故で死亡するほどのことは、普通ほとんど起こらない。よっぽどのことが無い限り悪魔の生命力と回復力を超えることなどないはずなのだ。
そう考えるともしかしたら今回のこの死亡回避のヒントは、この時間差にあるのではないか。
だがこれをインギールに伝える手段もない。
(………どの道きっかけが同じなら、……同じことか)
グリープは一瞬悩むが、どちらにしても最終的に死亡をするのならと思考を止める。
どうせ3人ともきっかけは同じだ。あれこれ悩むよりそもそも根底から覆した方が速いのかもしれない。
そう考えを巡らせ、いつのまにか身を乗り出してまで睨み続けていたストルナムから視線を外そうとしたら、突然彼の頭上の数字が動いた。
『――――119:26:30』
「……え?」
さすがに、これにはうっかり声をあげた。
頬杖をついた掌から顔が浮く。死神経験が長いわけではないグリープが、目の前で、死亡時刻がずれるのを視るのは初めてだった。否、長い死神だったとしても直面することはほとんどないかもしれない。それほど珍しい現象が今目の前で起こったのだ。
(……3日延びた?今?ここで?)
死ななくなったわけではない。だが、確実に今、遠ざかった。
もっとも、このタイミングで死期が動くとしたら、原因はひとつしかない。
そのグリープの反応に、談笑している当の悪魔たちは気付かなかったようだが、インギールが気付いた。
その視線を受けて、グリープはめずらしく動揺した素振りでインギールを呼ぶと、一言告げる。
「インギ……お前。今、何を『決めた』?」
ここで彼らの死期が動くとしたら、直接動けないグリープの代わりに、それを汲み取って動くことのできるインギールの『決意』しか、なかった。
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