みんなあまり知らないけど昔の彼はそれは泣き虫でね。
ひとりでできないことがあるとよくグズッてたんだ。ぼくらはそのたびに一緒に協力して色々やったものさ。
ある意味、負けず嫌いだったのかもしれないな。
今は、割となんでも自分一人でできるからかな、自信もついたのかよく笑うようになったけど。
って言ったら本人に怒られるんだけどさ。
【死神の眼②】
(あれ、グリープ、降りてきてたんだ)
実に1週間ぶり、くらいになるだろうか。それを見かけてインギールは足を止めた。確か彼はここの所仕事に追われていてしばらく冥界にこもりきりだったはずだ。
遠目から見ても、存在感の大きな紫のふわふわな羽が案外目立つ。薄いピンクのさらさらした長い髪に少し混ざった紫の濃い色がアクセントになっているその彼は、一見すると女の子に見紛う外見をしている。それを本人にいうと少し複雑そうな顔をするけれど。
彼はその小奇麗な外見からはあまりそう見えないけれど、実はかなりの努力家の部類で、与えられた仕事、役割はしっかりとこなす。こなし過ぎてしまうのは若干悪い癖のような気がするが、彼があの若さで一人前になれたのも、自分の立ち位置を把握し、勤勉にはげみ、努力した結果なのだ。才能よりも努力で登ってきたタイプ、というのだろうか、泥臭い言い方をすれば叩き上げの部類である。
(本人に言うと嫌な顔されるけど。努力って言葉嫌いなのかなぁ、僕は好きだけど)
対して向かいにいる背の高いのは彼の知己でもあるロックバンドのボーカル、ヘドだ。
此方はグリープと違い、多分天才型なのだろうなと予測する。他人を圧倒的に引っ張っていくそれはすでに才能だ。グリープが自分の立ち位置を把握して自分の地位をくみ上げたのなら、こちらはおそらくとりあえず降り立ってみてから自分の立ち位置を作っていったタイプだろう。
もちろんその中には努力も含まれているだろうが、彼はやりたいことをやっているだけでそれを努力とは認識していなさそうだ。
そんな二人が仲良くなったのは、インギールにとって意外と言えば意外だった。
というのも、ヘドはともかくとして、グリープの方が友人作りには向いていない。というか、あまり友人を作ろうとはしないタイプだ。死神という職業柄もあるのだろうが、少なくとも自分たち、インギール以下まもの仲間以外と仲良くしているのを、ここにくるまで見たことがなかった。
だから多分声をかけてきたのはヘドの方が先なのだろうとは思う。この悪魔、見た目は結構おっかない印象だが、話してみると意外と気さくだ。言葉が荒いのと声がでかいのを除けば話しやすい。まぁ、言葉が荒いのはグリープも似たようなものだし。
何にせよ、それはそれでとても喜ばしいことで、グリープから彼を「友人」と紹介されたときは感動で目頭が熱くなったものだ。そんな自分の様子は他人からは見えないけど。
まぁそんなこんなで、相変わらずあの二人は仲がいい。思いながらインギールは軽く挨拶でも、と足を踏み出しかけて、しかしすぐにその違和感に気づいた。
何がおかしい、というわけでもない。
ただ、グリープの話している様子が、彼にしては珍しく、視線が泳いでいるような気がしたのだ。
彼は通常、人と話をするときにじっと相手の方を見る傾向にある。性格か、職業柄か。趣味が人間観察だと言っていたけど、元々種族と職業が同じという珍しい種族だから、多分両方だろう。
喋るときの仕草とか、表情とか、そういったものを注視する傾向にあるのは、探偵である自分も同じである。
そんな彼が、話している相手を見ないというのは、何か、考え事をしているときか。
「やぁ二人とも、なにしてるんだい?」
とりあえず声をかけてみる。
「お、インギールじゃん」
「っ?!」
すると案の定、声をかけたインギールに先に反応したのはヘドの方で、グリープはどちらかというと驚いたようにこちらに振り返った。
これも珍しいことだ。普段の彼なら姿どころか気配を消していてもこちらの存在に気付くはずなのに。なんでも「そこに何かが居るということは魂でわかる」らしい。
それが気付かないとなると、よほど気がそぞろなのか。
「明日のライブの話かな?」
「そうそう」
「あ、なに、お前知ってるの」
「うん、バーテブラさんが宣伝してたよ」
確か何日か前にそんな話を聞いたのを思い出してインギールは告げる。ロックバンドとやらは自分の専門外であるから興味もあるし、夜にやるならドラウドあたりも誘いやすいから暇があったら行こうかなぁと思っていた。聞いた時グリープも浮かんだが、仕事がやたらと忙しそうだったから無理かなと思っていたところだ。
今ここにいるんなら誘おうかな、と、視線を向けた時。
「……お前、行く、のか?」
ふと、先に口を開いたグリープの声の少しトーンが落ちた。
先ほどまで泳いでいた視線がしっかりとこちらを捉えている。今の会話の流れで何か彼の意識を動かすものでもあっただろうか、単語的にはライブとバーテブラぐらいしか特別なことは言っていないが。
観察、というよりは、こちらを窺うような視線である。
この、グリープの視線にインギールは覚えがあった。
「そうだね、そのつもりだけど。どうしたのグリープ、泣きそうな顔して」
「……は?」
それは彼ら魔物の友人同士がまだ誰も一人前ではなく、魔力も低くて幼かったころ。
世襲制で生まれながら地位も魔力も確立していた吸血鬼のドラウドや(何せ彼は3世の名を持っている)、先祖代々からの直系である透明人間のインギールと違って、グリープの死神という種族は、死神という種として生まれながらも、職として一人前になるための試練やら何やらが多い種族だ。
もちろんドラウドやインギールもただ何もせず一人前になれるというわけではなく、それ相応の教育は受けるし、ふさわしくなるように成長はしてきている。種族の試練などは種族ごとにあるだろうが、ただ、死神と言うやつはその試練の数と難度が桁違いなのだ。
そのくせ個体数は少ない。
ライカーの属するライカンスロープやマーギンの属するマーマン系の種族は、群れで活動することが有名なように、個体数が多い。多分その差は少なく見積もっても5倍は軽く違う。
そのせいなのか、グリープの幼いころはいつもひとりで、それでいて泣きだしそうだった。
先も少し触れたが、死神というやつは珍しく、『種が職を担っている』種族だ。
何が珍しいかというと、例えばヘドなんかは『種族は悪魔で職はロックバンド』だったり、インギールも『種族は透明人間で職は探偵』なように、大体は、種族は種族として、個体がそれぞれ個々の生活職を持っているのが普通だが、インギールの知る死神はみんながみんな『種族が死神で職も死神』だ。
死神として他人の魂、生き死にを預かるからには、やはり相当の能力、相応の覚悟と、試練が存在するのだろう。
なりたい、と思ってなるようなものではない。それこそ本当に揶揄でもなんでもなく、生物学上として、鳶の子は鷹になれないのと同じだ。
ある意味選ばれた種族といえば種族であるが、選民と言うよりは、彼らはどちらかと言うと『世界の一部』なのだろうとインギールは思う。
ただ、それだけ限定された種族にも関わらず、否、それだけ限定されているからこそなのか、死神として生きることに魂をささげる覚悟と、世界の理に対する堅実なる忠誠と、人の命に対する絶対的な愛情と、それら全部を了承出来なければ、死神という種族として生まれても死神になりきれないのだという。
死神に、なりきれなかった死神がどうなるのか、それはインギールですら預かり知らぬところだ。
一度、一人前になりたてのころか、グリープにそれを聞いたが、少し曖昧な顔をして、「規約違反なんで」としか答えをもらえなかったから、多分、あまり良くない未来が待っているのだろう。
だからきっと死神の絶対数も少ないのだ。
話が少しずれたが、そういう種族柄もあってだろうか、グリープは幼少のころ、魔物仲間内でもちょっと変わっていた。
体に似合わない大きな鎌を引きずって、とにかく一人前になることに一生懸命で、自分たちが談笑しているときでも基本的には黙って少し離れたところからこちらを見ているだけだったし、自分たちも彼はそういう奴なのだろうと思っていたから特に気にしなかった。
だがある日、彼の方から口を開いてきたことがある。
「しにがみとして、いちにんまえになるために、オレにはどんなちからがあるかをかんがえて、えらいひとにていしゅつしないといけない」
その時、ドラウドはすでに生粋のバンパイアとしての能力は備えていたし、インギールも透明になったり頭を使うことには長けていた。ライカーは格闘家としての修行も詰んでいたし、マーギンは泳ぐのが得意だった。
ただ、グリープだけが、何も持ち合わせていなかった。
死神というやつはそういうものなのだと思っていたのだが、その中でも彼は何も持っていなかったのだ。
「何かないのかよ、死神なんだから魂を操ったりさ」
「このしけんをクリアしないと、そのちからはもらえない」
「じゃあさじゃあさ、空をとんだりとかは?びゅーんって!」
「いちにんまえじゃないと はねがないからできないよ」
「人間とは違い長命ではないか」
「しにがみはみんなそうだよ」
「速く走ったり、頭をつかったりとか……」
「……ライカーよりおそいし、インギールほどあたまよくないもん」
「…………」
「どうしよう このままだとオレ いちにんまえになれないかも」
どうしよう。
ただ、その一言だった。他のみんなもかける声を失って一度口をつぐむ。
「……ぅえ、」
そうしてしばらくの沈黙の後、最初に声を出したのはやはりグリープで、ただ、それは声ではなく嗚咽だった。
「どう、どうしよう どうしよう。いちにんまえになれないよ できないとおしおきされるよ」
その時一番混乱していたのはグリープだったかもしれないが、焦ったのは周りにいた彼らだった。
あまり口を開かない自分たちの仲間が、自分から口を開いたと思ったら、今度は泣き出してしまったのだ。別に誰が悪かったわけでもない。だが、泣かせてしまったのは自分たちのアドバイスがきっと曖昧だったせいだと、その時は誰もがそう思った。
「な、泣くなよ、泣いてても何も解決しないぞ!」
「でも、だって、わかんないよ……」
焦ったけれどどうしたら泣きやんでくれるかもわからなくて、一番仲間思いのライカーがとにかく声をかける。
「わかんないんだったらさ、インギールに相談しよう!」
「え?ぼく??」
「そうだよ!インギールくん頭いいもん!」
だが良い案が浮かばなかったか、丸投げだとばかりにライカーがインギールの名前を出す。
戸惑ったのはインギールだが、何か言葉をつなげる前に、その通りだとマーギンも乗ってきてしまう。
これは頭がいいとかそういう問題ではない気がするが、それでも確かにこのまま泣いているグリープを放置するわけにもいかない。
「そ、そうだね、わからないときは、みんなで考えよう。ひとりじゃ出来なくてもみんなならできるよ。」
「そう、なのかな…」
「そうだよ!えっと、【さんにんよればもんじゅのちえ】って言うし」
「もんじゅ……?」
「ことわざだよ」
少し胸をはって大げさな素振りでそういえば、その気配に圧されたか、グリープが少し呆けた顔でそちらを見てくる。とりあえずグズったのは止まったようなので一安心だ。
見ると、マーギンがグリープの横に近づいて背中をぽんぽんと叩いていた。
「グリープくんね、なにも無くなんかないよ。えっとね、グリープくんはやさしいよ」
「?」
「だってこの間ぼくが道にいた野良猫を恐がってたら、グリープくんぼくが通り終わるまでその猫抱っこしててくれたもん」
「べつに、オレねこすきだから…」
「それでもやさしいからだよ」
この中では一番末っ子、というか若いマーギンが一生懸命グリープの良いところを探している。そういうことを言える彼が多分一番やさしいのではないかと思うが、優しい人は優しい人がわかるものだ。
「そうだグリープ、オマエはもっと自信を持て」
「じしん……」
「そうだ、なにせこの私の友人なのだからな」
「ともだち?」
「そう、トモダチだ」
そう言ったドラウドは、どちらかというと自信を持ち過ぎな気もするが、今回は特に突っ込むことはしなかった。偉そうにはしているが、昼間は誰よりも頼りないのを、グリープも知っているはずだった。
しかしだからこそ、ドラウドの方から声をかけるのは珍しいことでもあった。
だからなのか、グリープの表情が少し柔らかくなっている。
「うん、トモダチ」
ふわりと、そう言って笑ったときの表情を、インギールは今でも覚えている。
いつも困った顔をした彼の笑顔をみたのは多分そのときが初めてだ。あまり笑わない子なのかなと勝手に思っていた自分を反省するいいきっかけにもなったし、なによりすごくかわいかった。
男の子にいう言葉ではないが、泣きそうな顔をしているのより、ずっといいと、思ったのだ。
「そうだよ、グリープにはぼくたちがいるじゃないか」
そしてひとつ、思いつく。
「なに?」
そうだ、彼に何もないなんてあるものか。だってこんなに素敵な仲間がいる。
困った時に一番に声をかけてくれるライカーがいる。優しくて元気をくれるマーギンがいる。自信満々に引っ張っていってくれるドラウドがいる。そして頭が良くてみんなのことを見ているインギールがいる。
こんなに素敵な仲間に恵まれているグリープは、一緒にいられるだけの素敵な魅力がある。
「グリープには、立派な仲間がいますって、偉い人に言ってやれ」
言った瞬間のグリープは、丸い目をさらに丸くしてこちらを見ていたが、やがてもう一度ゆっくり目を細めたのを、見ていたのはもしかしたらインギールだけだったかもしれない。
「お!いいなそれ!なんならオレも一緒に言ってやるぞ!!グリープを怒ったりしたら許さないぞって」
「え、いいよ…」
「良くない!グリープが困ってるんだから、オレ絶対に行く!」
「ん、ううんだいじょうぶ。きっとちゃんといえるよ」
ダメ押しとばかりに声を上げたライカーを、静かに静止してグリープが顔を上げた。
床に置いたままの身体に不釣り合いな鎌を持ち上げると、仲間に向かって一度顔を下げる。
「ありがとう、みんな。オレがんばってくる」
そうして顔をもう一度上げたときにはもう、多分、何かが吹っ切れていたのかもしれない。
言いながらすこし困ったように首をかしげるが、先ほどまであった不安な顔はもうしていなかった。
多分彼が良く笑うようになったのも、その時よりずっと自信が付いたように振る舞うようになったのも、あの時のそれがきっかけだ。
そう、今でこそそんな表情はしなくなったが、インギールはそれを知っていた。
ひとりでどうしたらいいかわからなくなって 泣き出しそうなグリープの顔。
「……誰が泣きそうなんだ誰が」
少し怒気のこもったその声に、インギールは思考回路を回想から引き戻す。
「え、違った?ぼくが彼らのライブのこと知ってたから、仲間外れにされたのかと思って寂しいのかと」
「んなわけねぇだろ!バカかお前!!」
一瞬だった。その表情をしたのは一瞬だったが、たしかにしていたと思う。
インギールは少し軽口を混ぜることでその場を流しながら、もう一度グリープの様子を見た。
珍しいことだ。一人前になった彼から、あのころの弱気な姿が漏れ出るのは。
何か、あったのかもしれない。
「な、別にオレお前をハブってねぇぞ?!だからグリープとは連絡がつかなかったんだって……」
「ほらヘドが本気にしちゃった!!別にんなこと思ってねぇって!」
「あははは、ごめんごめん」
笑いながらぽんぽんとグリープの頭を叩いたら、その手を鬱陶しそうに払われた。
否、掴まれた。
「まぁ、冗談は冗談としていいけどよ、ちょうどいいや、頼みがあるんだ」
そういってこちらを見つめてきた死神の眼は、もう泣きそうに揺れてはいなかったけれど。
だけど、腕を掴んだ手は微かに震えていた。
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