魔族というやつは総じて「美しいもの」好きである。
種族的に淫魔なんかはまぁ当然だが、ある程度の高位魔族になってくると、ステータスとして、「強い」か「美しい」かのどちらかを必要とされるようになってくる。
それこそ、魔界最高峰と呼ばれている「魔王」の称号を関しているサタンあたりになってくると、「美」はもはや必須事項でならなくてはいけなかった。
本能としての美を求める。それは魔族としては当然の行為だ。多分その欲求は、人間のそれよりもはるかに貪欲。求めるのは己の美だけではない。そして見た目の美だけでもない。
器、容姿、生き方、考え方、魂、純度、混じりけのない美しさ、整然とした気丈さ、気高さ。
美しければなんでもよかった。自分が美しいと思ったものを自分の力で手に入れる、その美学もまた魔族の好物だ。
だから、彼がそれに興味を持つのは、ある意味必然ではあった。
「……わけわかんね」
読みかけの本を床に投げる。元来勉強というものが好きではなかったデビルにとって、その書物は何が面白いのかわからなかった。
幼いころから一応家庭教師なるものはついていた、だが、それの話を真面目に聞いた記憶なぞほとんどなかった。
座った椅子の背もたれに身体を預け視線を天井に投げる。デビルは、サタンの親類ではあったが、人間界慣れしているそいつと違って、「家」という建物は苦手だった。
それよりは外に出ている方が性に合っている。それは若さゆえか、かなり魔族の本能に忠実なタイプであった。
だが現在はそれも叶わない。
先日また本能に任せて悪さをしたため、サタンに謹慎をくらったばかりなのだ。多分一週間はこの屋敷から出られはしないだろう。
あのとき捕まりさえしなければ、デビルは天井を見ながらため息を吐いた。
まぁ、魔力を封じられなかっただけましだ。酷いときには魔力を取り上げられ子どもの姿にされ数カ月は放置される。
魔族の尺度では短い方だがそれでも飽きることに変わりはない。
「…なんだお前、また飽きたのか」
そこへ、無遠慮に扉が開かれる音とともに、少しだけ掠れた声が聞こえて視線を移す。
そいつはこちらには視線を送らずに床に落ちている本を拾い、軽く埃を払って表紙を見ただけで、迷うことなく所定の本棚の中にそれをしまった。
その動作に一切の迷いがないということは、おそらく、この部屋の本がどこにあるのかを既に熟知してしまっているのだろう。さすが、といえばさすがである。
「書物は大切に扱えよ」
なんて、かなりインドア的な発言をしたそいつは、屋敷に謹慎をくらったデビルの現在のほぼ唯一の話し相手である闇の魔導師。
以前ちょっとしたわけで知り合ったそいつなのだが、自分と同じくサタンにどうも穏やかじゃない感情を抱いているらしい。まぁ詳しいことはどうでもいいが、とにかく「サタンに目に物を見せてやる」という点で考えが一致しているため、現状それなりに付き合っている。
「だって正直、本なんか読んでも楽しくなくねぇ?」
「どうでもないだろ、まぁ、お前はそういうタイプでもなさそうだが」
「ご名答」
軽く言葉を交わしながら、隣の本棚から本を一冊引き抜いてベッドに腰を下ろしたそれを椅子の上から見送る。別に部屋に来たからと言ってなにか用事があったわけではないらしい。
まぁ、彼も暇なのだろう。…なんせ同じ謹慎組だ。
先日二人してサタンにちょっかいをかけたからこういうことになっているのは言うまでもない。
しかし、多分、自分よりこいつの方が謹慎がとかれるのは早いだろう。デビルはぼんやりとその姿を見送り続ける。
その理由として魔族と人間の時間感覚の差もある。が、何より、ここ何回かの付き合いでデビルは、この闇の魔導師がサタンの「お気に入り」であることに気が付いていた。
明確に奴がそういう態度をしたわけではない、ないが、デビルとてサタンとは、己が産まれてこの方、しょっちゅうどこかでぶつかってきた親戚だ。この人間に対して明らかに「他とは違う」目をかけているのは直ぐに見て取れた。
現に、自分がこいつと仲良くしていると明らかに威嚇してくる。
デビルは椅子に逆向きに座り、背もたれを抱え込むようにしてじっとその闇の魔導師を観察した。
まぁ、サタンが目をかけるのもわからなくはないのだ。むしろこればかりは同意せざるを得ない。
上級魔族の好みそうな白磁の肌に色素の薄い髪、伏せられた睫毛は水晶を覆う。本のページをめくる細く長い指の動きを目で追えば、それが魔導を放つときの一切無駄のない動きを思い出す。
魔導の質も限りなく闇、さすがに闇の魔導師なだけあって、魂の純度もかなりのものだった。人間にしたら珍しい。そう、稀少な、存在。
もはやデビルが改めて言うまでもない、そいつは紛うことなく、「魔族好み」であった。
大体にしてこれだけの条件をそろえていながらコイツがまだ生きていることが奇跡だと思う。これだけの逸材ならとっくに魔族のだれかの餌食になっていてもおかしくなさそうだが。
「…おまえ」
気が付いたら口を開いていた。
そう、だってこれがサタンのお気に入りなのは十分頷ける話なのだ。魔族好みの「美」をたたえ整然とそこに鎮座するそれ。
デビルにとっても、極上の餌が目の前に転がっているようなものだった。
それでもデビルが手を出さずにいたのはそれが「サタンのお気に入り」だったからにすぎない。デビルとてもう子どもではない、それに不用意に手を出せばいくら自分でもただではすまないだろうことはわかっていた。
自分が悪さをして「謹慎」ですんでいるのはひとえにサタンと親しい仲だからだ。
サタンに嫌われてはいると感じつつも、憎まれてはいないことなぞわかっている。
だが、多分これはサタンの中ではデビルの優先度より上にいる。
デビルが本能に従いコレを喰いでもしたものなら、その関係性も一瞬で終わるだろう。さすがにそれはしたくない。したくは、ないが、例えば。
デビルの言葉を受けてそいつは此方に視線を送る。
その瞳を抉りだしたい衝動を抑えてデビルは瞳を細め。
「お前を喰ったら、サタンに殺されっかな」
直球を投げてみた。
するとそいつは不愉快そうに眉をしかめて、だからと言って恐怖の色は微塵も見せなかった。喰われることがないとでも思っているのか、それとも喰われることに抵抗がないのかはわからない。
ただ読みかけの本を閉じてひとつ息を吐く。
「サタン云々よりまず、おれは喰われるつもりはないが」
そんな当然の回答とともに言葉に殺気が含まれる。その動作に一瞬の高揚。嗚呼なるほど確かにそうだ。簡単に喰われるようなタマではないから今ここにこうして生きているのだろう。
デビルは笑みを深める。もっとも初めからこいつを敵に回すつもりはない。むしろそう。
「じゃぁさ、お前とヤッたらサタンに怒られるかな?」
こちらが本題だ。
別にデビルにその気は無いが、それを戯れに「喰って」みるくらいの価値はあるように思えた。魔族というやつは総じて「美しいもの」好きである。本能に忠実なデビルがそれに興味をもつのはある意味必然であった。
言いながら立ち上がる。
瞳は逸らさない。瞳を見ることは一種の催眠である。そのままデビルは手を伸ばしその唇へと指をあてる。
そいつは動かない。それとも動けないのか。
「なぁ、シェゾ?ヤらねぇ?」
言ったそれは悪魔の囁き。言葉こそ疑問形だがほぼ確信に近い響きで言葉を紡ぐ。まぁ、断られてもヤるだけだ、と、デビルはその手をシェゾの首に回し。
しかし、それはついと、デビルからあっさり視線を外してみせた。
「あー…いや…、やめとく」
「あん?」
「今ここでお前とヤるメリットが思いつかん」
それだけ言うと首にかけられた手を払うこともなく、もう一度本に視線を落とした。
あっけにとられたのはデビルの方だ。
これほどまでに穏便で、それでいて明確な拒否をされるとは正直思っていなかった。まるでメリットさえあれば別に構わないというような態度のそれは、一瞬で場の空気を斜め上に引き上げる。
デビルは呆けたような表情でそれを見送っていたが、ふと思いついたように、やはりあっさり視線をそれから外す。
それから退屈そうに盛大に息を吐くと、もう一度口を開いた。
「あー!振られたー!」
「なんだそりゃ」
「ちくしょー!暇だー!!」
「本読め」
暇つぶしの相手が構ってくれないことに盛大に駄々をこねるようにデビルがシェゾの座るベッドに飛びこめば、シェゾは呆れたように息を吐く。
それだけで会話はいつものものに、戻った。
ぶつぶつ言いながらベッドに顔をうずめるデビルは、自然、顔がゆるむのを感じていた。
余りに華麗にかわされた悔しさと、それに勝る感心。あれ以上手を出すのはやめたが、むしろ興味は増したと言っていい。
謹慎期間は相変わらずもう少し続きそうだったが、なるほどこれなら退屈は、しないかもしれなかった。
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サタンとデビルの思考回路は結構同じ。
しかしあくまで「友人」の線を越えないっていう理想。
(つか なげぇよ)(あれおかしいな)
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