しとしとと雨の音が耳を塞ぐ。
湿気を含んだ空気の匂いに微かに鼻を鳴らしながら洞窟の中でシェゾは目を細めた。
この世界に来て洞窟の中で長く暮らすようになってくると、空気の匂いでその日の天気が分かるようになってきた。
お陰で雨に降られそうなときには外に出ることがなくなって、服を濡らして帰ってくることがなくなったからそれはそれでよかったのかもしれない。
遺跡の中にいたころはそこまでは予測できなかったものだが。
(ますます野生じみてきたな)
そう思いながら水を思い切り吸ったマントの裾を絞る。
容赦なくばたばたと水をこぼすそれは、当然シェゾのものではない。
自分は服を濡らす事がなくなったのだが、そこはそこでここは此処だ。
雨に降られた誰かが、雨宿りをするべく洞窟に足を止めることは少なくない。
今日もそうして雨宿りを始めた相手の、水を吸いきった外套を絞っていてやったところだ。
「こんな時に、外に出るか普通」
「私に言うな、宿主に言え」
しとしとと雨の音が耳を塞ぐ。
今日は雨が降るであろうということ、空気の匂いに限らず雲の様子を見るだけでも見て取れたのだが、こんな日にまさか雨の対策も持たずに出かけたと言うのだ、目の前の、この少年は。
「あげくに熱出してぶっ倒れました、と。どんだけ脆い身体してんだ」
「……それも宿主に言え」
「まぁ、インドアだよなこいつは完全に」
目の前で忌々しそうに顔をしかめてうずくまっている眼鏡をかけた少年、クルークが赤い瞳でこちらを見上げる。
その視線に、綺麗な眼だ、とシェゾは不意に眼を細めた。
混じりけのない血の色。まるで憎悪を模ったような色をしているその瞳が、シェゾは嫌いではなかった。
こんな雨が降るだろう日に、この少年は間抜けにも外に出て容赦なく降られて体を壊し、あろうことか意識を手放したのだと言う。
故に、この少年の身体を別の物が動かして、どうにかここまで来たのだそうだが。
そう、少年の持つ本の中に魂を潜めている赤い魔物が。
「今日でないとだめなのだそうだよ」
「何が」
「水晶の魔力が高くなる日なのだろう」
「……ああ」
それだけの会話でシェゾは状況を読み取った。
そういえば以前、このメガネの学生がこの洞窟の水晶を取りに来ていたのを思い出す。
そして、今日、その水晶共の中の魔力がざわめいているのも、感じていたものだ。
「今日、なんかあったか」
それを読み取ってシェゾは頭を巡らせる。
水晶や魔道具というものには必ず決まって周期があるものだ。それは月の満ち欠けだったり、周りの季節で変わる精霊の勢力の差であったり。
だが、この水晶が属している魔力の形態というものは、何にあたるのだ?
特別な何か、思い当たる可能性がなくてシェゾは眉をひそめる。
すると目の前のそれが微かにその眼を細めた。
「魔の、生まれた日だよ」
くつりと、静かに喉を鳴らしたその声にシェゾが振り返る。
彼はいつの間にか立ちあがって、楽しそうな悲しそうなよく分からない表情を浮かべてシェゾを、否、シェゾの奥の洞窟の闇を見ていた。
「貴様の住んだ世界ではなかったろうが、この世界では、ひとつの紅い魔が生まれた日なのだよ」
言って笑みを深める。
深く深く笑う瞳の赤い色が濃さを増した気がしてシェゾは動きを止める。
赤い、紅い瞳が、闇に浮かぶ獣のような眼をしている。
紅い魔が生まれた日。
それは、彼の誕生日を意味していた。
その事実自体は知らないが、そんな彼の様子を見止めて、シェゾは何かを読み取ったか、その赤に手を伸ばし。
ぽんと、その頭を撫でた。
「は?」
「そうか……そりゃ、めでてぇな」
「何を言っている、我は、」
「誰がどうとか以前に、魔力は世界に溢れてるに超したことはない」
それだけ告げるともう一度、来訪者の外套を乾かすために住まいの奥へと足を運ぶ。
それから不意にふりかえると、小さく目を細めて奥を指差した。
「雨が止むまでいていいぞ。丁度メシも作りすぎたし」
言って洞窟の奥へと答えを待たずに進んで行く。
どの道、雨がやまない以上は魔物もその言葉に従うしかないのだが。
「……魔力を喰らう気か、貪欲だな、闇の使いが」
「使い?馬鹿言え。支配者だよ」
(あや様おめでたかった!)
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