「あれ?シェゾ久しぶり!」
昼下がり、街の中、アルルはその人物を見かけて大きく手を振った。
久しぶり、と言ったのはつまりその言葉通りの意味で、アルルがシェゾを見かけることが久しくなかったからに他ならない。
だからと言ってそれが別段珍しいわけでもなく、実際、彼女らは待ち合わせなどをして出会ったことなどほとんどない。
せいぜいサタンが何か変なことをやらかしたときにお互い招待状というものの形で顔を合わせるくらいだ。
タイミングが合えば毎日のように顔を合わせることもあるのだが、今回の用に何週間と軽く姿を見ないこともざらではあった。
一方、声をかけられた方のシェゾは、眠たそうな視線を一度アルルに向けてから、珍しく、片手を挙げてその声に答えた。
アルルとシェゾが顔を合わせたときのシェゾの反応は様々だが、大抵はものすごく嫌そうな顔をされるか、ここであったが百年目と言わんばかりにお前が欲しいと言われるかの二択である。
(シェゾがこの反応ってことは……)
アルルはその反応を見てシェゾのコンディションを予測する。
何かシェゾがやろうとしてることがあるときに声をかけると大抵煙たがれる。だからといってシェゾが無駄に元気に暇を持て余していると勝負をけしかけられる。
眠そうな表情、適当な反応。
これは、『徹夜明けで特に何をするつもりでもなく街に降りてきた』ということだろう。
アルルは買ったばかりのりんごを一つ取りだすと、相手に向かって放り投げる。
「なに?また徹夜でもしたの?」
「……ほっとけ」
「ほどほどにしなよ」
言いながらカラカラと笑いかけるアルルに、シェゾが頂いたりんごを齧りながら静かに目を細めて見送る。
毎度毎度元気なものである。それが彼女の長所でもあるが。
「あら、珍しくない?」
そこに凛と、水面に水が落ちるような声が響いてふたりで視線を向ける。
カツンと、高いヒールの音を響かせたそれは、ふたりのよく知る、光を受けて波打つ海のような髪を流した美女だった。
彼女もまた買い物の最中なのか、後ろに大量の箱(おそらく買ったものだろう)を抱えた従者を連れて道に凛と立っていた。
「やぁルルー、君も買い物?」
「ええ、見たところ、そっちもみたいだけど」
「僕はね。シェゾはー…、通りかかったから声かけてみた」
「あなたねぇ……」
のんきにそう答えるアルルにルルーが呆れた声を上げる。
彼女が珍しいと言ったのは何もその組み合わせではなく、その二人が和やかにりんごなどを齧っていたことだ。
ルルーの中の認識としては、シェゾはアルルのことをつけ狙う陰湿な変態である。そんな彼に平然と声をかけてしまうアルルの不用心さにルルーも毎度呆れを隠せずにいる。
ルルーはやや警戒した視線をシェゾに向けながら口を開く。
「あんたは…そうやって油断させてまたアルルに変なちょっかいかけようとしてたんじゃないでしょうね」
「……お前はまた随分と失礼な奴だな」
「普段の行動を顧みてみなさいよ」
言いながら軽い敵意をシェゾに送るが、眠気が勝っているのだろうか、シェゾは歯牙にもかけずにただ欠伸を押し殺した。
「やんねぇよ、街に来たのだってたまたまだ」
割と本気で警戒していたルルーだったのだが、シェゾの余りにやる気のない態度にその意識も削がれる。
「なんか調子狂うわね……」
「るっせ」
「まぁまぁいいじゃん」
そんなふたりを宥めながらアルルがもう一度笑う。
ルルーはその様子に溜息をもらし、後ろに控えているミノタウロスに視線を移す。
シェゾも、もう一度欠伸を殺して視線をそらし。
「なんだシェゾ寝不足なのか?」
「っ?!」
背後からの声に身をすくませた。
飛び退くように振り返って反射的に身構える。
一瞬、何事かと思いアルルとルルーも遅れて先ほどまでシェゾのいた方に視線を戻すと、そこに居たのはやはりというかなんというか、酷く見慣れたシルエットだった。
「いきなり人の背後に立つんじゃねぇ!」
「そう易々と背後をとられる貴様が悪い」
「このっ……!」
シェゾに対してあっさりとそう言ってのけた人物。シェゾがそれに文句を言おうと身構えるより先に、その人物に対して真っ先に動いた者がいた。
「サタン様ぁん!!!」
「どわ!」
愛しの人の姿をみとめ、大砲の勢いでサタンに飛びついたルルーはその間にいたシェゾを平然と突き飛ばしてサタンに抱きつく。
吹き飛ばされた方のシェゾは寝不足もあってか、対処しきれずに華麗に地面を滑って行った。
そんないつものやり取りをみてアルルはもう一度笑う。
「あはは、大丈夫?」
「……に、見えるか……?」
「あらやだ変態どうしたの地面に縋りついたりして」
「このアマ……」
「あっはっはっは、体調管理が悪いからそうなるんだぞ?」
なんとか体勢を立て直してルルーを睨むシェゾをサタンが笑い飛ばす。
今にもその二人にとびかかりそうなシェゾをアルルが宥めた。
いつものやり取りである。
「まぁまぁ、それにしてもシェゾ、そんな寝不足になるほど何してたの?」
ぽつんと。
アルルがこぼした言葉に、だが、問われたシェゾが一瞬動きを止めた。
「……?」
特別変わった質問だったわけではない。
それでもシェゾは一瞬何か躊躇うように視線をアルルに向けた。
ような気がした。
しかしその空気の変化にアルルが気付くより早く、シェゾは再びぼんやりとした視線をアルルに向けてから、服についたほこりをはらいながら立ちあがる。
「別に、魔導書読んでたら日付変わってた」
「なにそれ、君らしいっちゃ君らしいけど」
「ほっとけ。……飯も食ってねぇんだよ」
「……それで降りてきたの?」
「おう」
三度、今度は押し殺すことなく欠伸をしたシェゾがそう言いながら体を伸ばす。
「あ、じゃあせっかくだし家においでよ」
そんな様子に、思いついたようにアルルが提案をした。
「あん?」
「おおそれは良い考えだな!」
その提案にシェゾが言葉を返すより早く、その意図を呼んだかサタンが声を上げる。
「みんなで楽しくご飯だな、賛成!」
「えっサタン様の料理でしたら是非私が!」
「いいね、みんなでカレーパーティ」
「は?ちょ、なんだそれ」
完全に反論するタイミングを見失うシェゾをよそに、さっそく乗り気な一同。
「では材料を持って行きますわ!」
「よし、じゃあ僕もおっきい鍋用意しとくね!」
ルルーはサタンとご飯と聞くや否や、サタンに手料理をふるまうのは自分だと言わんばかりにミノタウロスを連れて颯爽とその場を後にする。
その雰囲気に押されるように、アルルも慌てて家への帰路につく。
シェゾの意志なぞお構いなしに進められる準備。
「ちょ、まて、おまえら……」
「じゃあね!絶対来てね!!」
さらにはそのまま確認もせずにその場を後にしてしまうアルル。
これでは行かないなどと行ったところで後々責められるのは目に見えている。
基本的に人数が増える分にはなんの文句も言わないが、減るとあとあとうるさいのが特徴だった。
「と、言うことらしい。拒否権はないな」
「て、めぇ……余計なことしやがって……」
「良いではないか」
睨みつけるシェゾに、同じく状況的に取り残される形になったサタンが笑う。
どの道ここでサタンが残っている時点で、シェゾがこっそり帰るという選択肢もないように思えた。
「さーて私の嫁の手料理だ、楽しみだなー」
「言ってろ……」
はた目にもウキウキが外に見えるようなテンションのサタンに、今度は溜息を押し殺す。
どうせ逃げても無駄だろうと、アルルの家に向けて足を運んだ。
「一晩で50人の虐殺」
ぴくり。
重い足を動かしたシェゾの背中から、先ほどと全く変わらないテンションでサタンの声がかかり足を止める。
シェゾはその言葉にゆっくりと、視線だけでそれを吐いたサタンを見た。
「……割と力のある魔族の一団だな。あまり良い噂は聞かないが力は確かだ。その一団が、一人の人間の手によって一夜のうちに、殺されたのだそうだよ?」
「ふぅん」
「大方獲物の力量を見誤ったのだろう。または自分たちは死なないと思っていたか」
「…………」
シェゾが特別相槌を打つわけでもない。
それでもサタンは歩きながら淡々と言葉を続ける。
「何でもその魔族は特殊でな、再生能力が非常に高い」
「…………それで?」
「殺すには確実に頭を潰す必要があるのだよ」
言いながらサタンはシェゾを抜いて歩み始める。
特にそこから先の言葉は、用意しているのかしていないのかは分からない。
シェゾもしばらく立ち止まっていたが、再びアルルの家へと足を運んだ。
「そうか、頭で良かったのか」
そしてぽつんと、そう返す。
「うん?」
「どうすりゃいいかわからんかったから、とりあえず、再生不可能だろうと思えるところまで、潰しといた、全部」
「なるほど、だからこそあの死体か」
「どうすりゃ終わるか、わかんなかったんだよ」
やや煩わしそうに眉をしかめて、4度目の欠伸を飲み込む。
そして思い出したかのように口元に当てた手の、匂いを嗅いで舌を打つ。
そんな様子を見てサタンがのんきに身体を伸ばしながら笑った。
「カレー、美味いが匂いもキツイよな」
「あ?」
「染み付いたら結構取れないものでなー。あれは厄介だ」
うんうんと頷きながらわざとらしい動作を繰り返す。
この話はこれでおわり、ということなのか。
それとも。
「……ああ、そうだな」
その言葉にシェゾは小さく頷いて、それきり口を閉じた。
(息を吐くように嘘を吐く)
(知らなくていい。彼女たちはその事実を。知らなくていい)
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