ツイッタの萌え語りはなるべく毎日ブログに持ってこれるようにしたいです。萌えは共有すべき!
ということでなんかひたすらシェゾについて妄想していたログをもってきました。
シェゾは文字通り「他者の命を糧にして」生きているから本当に大変だなぁと思った。
本人は大変だとは微塵も思っていないのだろうけど、他人の魔力を奪う生き方はまんま「他人を蹴落として上がっていく」タイプだから敵も多いしやっかみもかうし。
それでもその生き方しか残されていないのか。
本人は気付いていたくはないのだろう。「その方法しかない」ということに。
だから気付いていること全て無視して気付いていないことにする。
しかし他人から魔力を奪う生き方が「努力をしない」と思われるのが心の底から嫌なのだ。
だってその方法には努力以上の何かが付きまとっている。
人に嫌われることはもはや彼の義務なのだ。
誰かが何かを憎む時、一番にその対象であれ。いくら罵っても折れないことを自分が証明してやろう。
だって自分は弱くない。そう弱くない。
かれは「悪」なのではない。ただ他の人よりすこしだけ「強かった」だけなのだ。
他人より優れているものは、羨望と嫉妬を受けるのが義務だ。
それならば他人に嫌われるだけ嫌われてしまえばいい。
自分は「そういう人だ」と思われれば、弁明する必要すらない。
面倒くさいじゃないか他人の評価なんて。煩わしいじゃないか他人とのなれ合いなんて。
言葉は既に意味をなさない。実力があればそれでいい。他人に分かってもらう必要なんかない。
ただせめて自分が自分を認めていればいい、自分が自分をわかっていればいい。
強くあれ強くあれ他人を全て蹴散らして。
自分がそう望んだのだ自分がそう求めたのだこれは決して、「先代の意志ではなく」「運命ではなく」自分がそう望んだのだから。
今更戻るつもりはない。
今更戻れるわけもない。
独りで生きていく独りで生きていく。
それを「そうするしかなかった」と言って、片づけるのは楽だけど、それは「運命」を許すことになるからそれをするわけにはいかなくて、その意思が自分を縛っているのにすら気付いているけどそれでももう戻れない。
他の人の輪の中心に居る彼女を彼を、羨んだことは、ある、あるに決まっている。
それでもそこに行きたいとは絶対に思わない。
だって自分が選んだ道を自分が否定したら、それこそ自分がいなくなる。
生きている意味の無い中身の無い自分にだけはなるな。
魂の抜け殻になりたくはない。
自分は間違っていない、大丈夫自分は間違っていない。
信じている。信じている。生きている。
そういう思考回路を経て今の「他人の魔力を糧にし」て、「自分勝手」で「言葉たらず」で「ナルシスト」な「嫌な奴」というシェゾが出来あがっていたらいいなぁという妄想。
なんかもう 意地だよね。 意地で自分を成り立たせてるシェゾに超燃える。
そのくらい意固地なシェゾが好きです。
もう、なんか、死ぬほどナルシチズム。
これは「運命ではなく」、「自分が選んだ生き方だ」と信じているからこそ、信じていたいからこそ、誰に否定されても意見を変えない。否定されればされるほど変えない。
プライドと反発しんがあるからこそ変えるわけにはいかない。
だから癒されることも望んではいないと。
そんなサタシェ←ラグ前提ラグシェが見たい。
もしくはそういうアル→シェが見たい。
本当にどうにかして「こっち」にシェゾを持ってきたいアルルなんだけど、シェゾがアルルのそういう考え方が心底嫌いで「俺が欲しいのはお前の魔力だけなんだよ勘違いすんなガキが」とか吐き捨ててしまうそれはもう最低なシェゾが見たい←
けどそれでへこたれるアルルさんではないので、「キミがそういうつもりならボクだって全力でキミをボクのものにして見せる」っていう もうなんかめっちゃ男前なアルシェが…好きだ。うおお自分でいってぞくぞくした。←←
恋する女の子って超つよい。萌える。
そんなことをただひたすら延々と妄想していた。
(はりつめた、糸)
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