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弱ったサタシェそのに

一人でぼんやり真夜中にサタシェのシリアスが書きたいなぁと思ったんですがどうにもネタがまとまらないので走り書きです。
ただのネタ帳なので語りにすらなっていません。殴り書きです。

結局考えると弱ってるのがシェゾの方がうまい具合になりたつんですよねなんでだろう。






以下走り書き。
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サタン様が死にたいって言ったらシェゾは物凄い嫌な顔して一人で死ねっていうけどシェゾが死にたいって言ったらサタン様は優しくじゃあ一緒に死ぬかって言ってくれるんだと思う。そんなときにシェゾはものすごく泣きたくなるんだけど絶対に泣かないんだと思う。

だけどサタンとシェゾが無意識に持っているのは自殺願望ではなく他殺願望。誰かが殺してくれるのを期待している。お互いを殺せるのはお互いだけだと気付いているがしかしそれには自分が殺されるだけの価値が無くてはならないから上を見ることをやめないのだ。

死にたいけど死にたくない殺したいけど殺したくない死んでほしいけど死んでほしくない(嗚呼だって自分が死んだら彼を殺してくれる人がもう居ないのだ)

シェゾの方が人間であるが故に生に貪欲である。最期の最後までもがいて苦しんで足掻き切った後でないと死んでたまるかという感情も同時に持ち合わせているから、たまに、動けなくなるのだろう。死にたい自分と死にたくない自分。嗚呼けど、「生きたい」という感情は薄いのかもしれない。

「生きたい」のではなくて「死にたくない」のだ、あくまで。

その感情は何処までもプラスのようでマイナスのようでそれでいてどちらでもない。
死にたくないと思うのは、彼が同時に死にたいからだ。そもそも普通に生きているだけなら死にたくないという感情が出てくることもない、当たり前に生きているのだから。

何度も死ぬ目にあってきてもそれでもまだ生きている。
ここまできたらもういっそ意地に近い。死んでたまるか死んでたまるか。
彼はまだ自分の生き方に意味を見いだせていない、だから動けないのだ。それでも見出したい。人間だから。

対する魔王様は多分あまりそういうことは考えていないのだ。生きることに意味は無い生きているから生きている。魔族の思考回路とは総じてその程度でありサタンとてその感情に特別に疑問を抱いたことはない。
嗚呼だから人間がいとしいのだ。自分の価値を自分に見出そうとする人間が何処までもいとしいのだ。いとおしいのだ何処までも何処までも果てしなく。

そんなことをシェゾに言ったらやっぱり嫌な顔をされるのだろうけれど。

だからシェゾが死にたいと言ったらサタンは優しく受け入れてくれる。そんなシェゾが言うその言葉だから優しく笑ってくれる。彼の「死にたい」は「殺してくれ」だ。けど彼はそう言いながら本当は死にたくなんてないんだということをサタンは十分に理解している。
サタンはそれを知っている。










そんなときに優しく首を絞めてくれればいい。嘘でいいから殺してやると言ってくれればいい。
こぼれる涙は死への恐怖によるものだ、きっとそうだ、だから大丈夫だ自分はまだ死にたくないと思っていられるのだそうなのだ。

決して死ねないことへの絶望じゃない。サタンが優しいことへの嬉しさじゃない。悲しくない、悲しくない。胸が痛むのは酸素が届かないから苦しいだけだ。悲しいからじゃない、悲しいからじゃない。

だってもう、何が悲しいのかすらわからない。





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次のサタシェ本はシリアスで行こう、絶対。
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